気楽に暮らしたい。

3月中旬から人生のボーナスステージと称して1年間のんびり過ごすことにしました。生き辛いの断捨離後、幸せを探していきます。

電子レンジを買おうとしている。

オーブン機能のついた電子レンジを買おうとしています。


健康、時短、生活を楽にする、節約などを考えると、どう考えてもあったほうが良いという結論に達して、買うことにした。


わたし的には、ちょっとしたバンジージャンプかつ、革命的な出来事。これまで4年間、電子レンジなしで過ごしました。


なくても行けますが、ピザ焼きたい、ケーキ焼きたい、そして、朝、レンジでチンして朝から手軽に温かいものを口にしたい!たまには冷食のチャーハンとか、冷食のパスタとか食べて家でゴロゴロ過ごしたい!素敵な食事はたまにできれば良いではないか!貴族でもオシャレインスタグラマーでも、芸能人でもないんだし!


気楽が一番!ルームシェアなどを挟んで家電は色々処分してことや、オーガニックとか、物を持たない暮らしという大義名分もありましたが、何よりも家電を買うこと自体が苦手なのです。


もはや苦痛の領域。


壁が厚い。家電好きの彼氏でもいればよかったのですが、こちとら独り身。仕方ないので奥歯を噛み締めながら、比較サイトとか、コメントとか読んで探しています。ああ、苦痛😱😱😱興味のない分野だけど仕事で必要になったから無理やり勉強している時のことを思い出す…。


レビューは参考になりますが、時々紛れている、ショップや配送業者への恨み節などの、負のオーラ放ってるやつとかも紛れていたり。家電量販店のごちゃごちゃして、音がうるさい空間に入ると、具合が悪くなるし、ネットで調べるにしても、値段とか口コミとか機能とか見るのが面倒臭い。


とにかく、苦手なのです。

家電好きな旦那さんでもいたら、全部丸投げして選んでもらいたい。現実逃避から妄想まで始まってしまいます。


いつだったか、アメトークで家電好き芸人の回で宮迫さんが、ぜんぜん家電のこと分からないから「いっちゃんええヤツちょうだい」と店員さんに言っていた、気持ちがわかる気がします。「いっちゃんええヤツ」を買うお金は私には無いので、3万円までて、一人暮らしの小さな台所に置けて、そこそこ良いやつ。


パンやピザも焼けて火力強目のものが欲しいのですが、見ていても正直ぜんぜん分かりません。


なんとなく、以下の二つが良さそうなのですが、日立やシャープの1万5千円位のオーブンレンジでも良さそうな気もするし、どうしたものか。


とりあえず、目的はオーブンレンジを買うことなので、いっちゃんええヤツでも、もっともコスパが良いものでもなく、損しても良いから、ちゃんと、オーブンレンジを買うという目的を達成できますように!

パナソニック オーブンレンジ エレック 26L ブラック NE-MS263-K

 

むじゃきに、ポチポチ。

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学校では、断トツで落ちこぼれていますが、毎日笑って、みんなに助けてもらって、どうにか生き延びています。

幸せで不満もない毎日。お金は無いけど。
ずっとみんなでいたい。学校から帰った後のお昼寝が幸せすぎる。

けど、どんどん無くなっていくお金。転職に向けて、少しずつ準備をしていっています。

今のところ、自宅を警備していたころや、海外を少し放浪していた頃より、今のほうが楽しい。

会社や学校で人に囲まれている方が私は楽しい。フリーや起業より、働きやすい会社での就業を目指すことにしました。それと、働きやすい会社を踏み越えてでも、どうにもときめいてしまった仕事とか。

(ある程度したらまた考えてみよう)

まずは、働きやすさ第一に。

今は、準備段階。授業を通して、知識を身につけたり、向いてない、苦痛な作業を発見したり。

実際に勉強してみると、思っていた以上にできなかったり、完全白旗だったり。専門的な分野の入り口みたいな事を幾つかやっているのですが、どうやったって理解も興味も持てず、結果もボコボコな分野が出てきました。今までなら、努力しなきゃ、できない自分を責めたり、克服しなきゃに傾いていたけど、今回は、できない上に苦痛、「じゃあ辞めよう!早くわかって良かったね」にしています。

卒業できる程度にはやるけど、これを繰り返します。嫌なことやめて、好きな事をする作戦で、やってて楽しい事、苦にならない事を理解していく。

今のところ、最高に楽しい!早く勉強したくて仕方がない分野もあって、見切り発車で応募しなくて、学校にきて良かったと心から思っています。

その上で、今までならどうせ無理と諦めていた企業に、むじゃきにポチポチ応募ボタンを押していきたい。

今は、どうせ無理だと思わないで、むじゃきに無理目な企業の求人を開いたり、ホームページから求人を見たり。

あんまりあれこれ気にせず、好きな女の子にむじゃきに話しかけに行く、幼稚園児の男の子みたいな気持ちで。

悪い経歴もそのままのせてしまえ。応募書類については、いろいろ見解があるみたいだけど、後でビクビクするより、良い。

卑屈になるのを辞めることにしました。

「色々経験して、頑張ってきました」「あなたのことが好きです」というスタンスに変えてみよう。

昨年作った書類をみると、私は色々やってきたけど、正社員にもなれずにダメなで自信もないけど、頑張りますのでどうにか入れてください…みたいな雰囲気を醸し出していて、いろんな人に怒られました。

怒られた…と心折れたりしたけども「自分の職歴にもっと自信を持ってアピールしなさい」っていうことが彼らは良いたかったのだろうな…。

なので、こんなに色々経験してみましたってていで書いてみます。色々調べていますが、最近は転職活動は好調、人が足りないという話が出てくることが多いです。

実際昨年も、いがいと選考が進んでいくのに驚きました。

ポジティブな、都合の良い情報だけを信じてむじゃきにポチポチ、きっと無理、でも憧れ…な会社に応募してみよう。

大丈夫、ダメでも、10年後には応募したことすら忘れているから。でも、応募しなかったら10年後もうだうだ言ってそう。

ワンクリックで、夢が見れるなら、宝くじを買うよりよっぽどワクワクするよなあとか思う。しかも、何度ポチポチしても、0円。

面接も、ちゃんとした企業だと、あれ聞いちゃダメみたいな規定があるらしく、嫌な思いをした記憶があまりない。

嫌だったら帰れば良いけど、今なら、楽しめるかもしれない。ヤバイやつだ!すげえ!みたいな。そうなったら自分のことはあまり話さないで、相手の話をせっかくだから聞きたい。

(入社はしませんが)

転職活動は、大人の社会科見学でもあり、宝くじを買うようなワクワクするものってきもちでやってみます。

私がひねくれるのをやめて、世界は、本当は優しい場所だったんじゃないか、ひねくれるのをやめて心を開いたら、どこまで優しい場所になったんだろうという実験をやってみようかと思っています。

頑張るほうに、流されがち。

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集団の中にいると、いろんなことが起きます。

で、そんな中で、つい、頑張るほうに流されてしまう自分に気がつきました。

体がNGの信号を出しても、頑張るのをやめたいのに辞められなかったり。何でなんだろうと思っていたけど、しんどいもう無理と天秤にかけた時に、頑張るほうが楽だと判断していることに気がついた。

現状維持だから、環境を変える後始末も不要なあげく、頑張るって「最強の免罪符」だったからなのかもと。

頑張ったけど、成果が出ませんでした。
頑張った。けど…。

成果が出なくても、頑張ってるんだから、まあまあ、責めないでやってあげなよ。頑張った自分を褒めてあげたい。

頑張れば、負けたとしても責められない。不思議な魔法です。

逆境に耐えて「頑張る私」は自分を守ってくれる鎧みたいなものだったのかも。幸せというゴールがやってきたら物語が終わってしまうから怖くて手を出せない。

頑張る私物語には、役者(嫌な奴)や小道具や設定(嫌な仕事、嫌な会社)が必要だったから、嫌だと思いながらも、あれもこれもあの人も手放せず、変わりたいのに変われないの蟻地獄状態だったようです。

世界が嫌な場所だったんじゃなくて、私がすねて面倒臭いやつだった。私が世界は嫌なところの証拠集めをし、どこに行っても同じだとあきらめてしまった。

(自分的には)辛くて嫌な仕事、(自分的には)納得できない待遇、(自分的には)大事にしてくれないパートナー。(自分的には)むかつくいやあいつ。丁寧な家事(を頑張る私)自然食(を作って頑張る私)

ナチュラルなライフスタイルは好きなら良いのだけど、知らぬ間に社会への後半の道具にすり替わっていたり。目的は何か?

「自分的には」の部分は自分にとってはそうでも、他の人にはそうじゃなかったり。解放してあげよう。ほんと。

そんな役を引き受けてくれたくれた人や物事もたち。ごめんね、こんな役割を押し付けてしまって。

次は、「たまには頑張る、そこそこ幸せな私物語」劇団あたりをやりたい。人から見ればなんてことないけど、当人達はキャッキャッと楽しそう。仕事も自分に合っていれば良い。家事が面倒くさくなったら冷食のキムチチャーハンなどを食べ、クーラー最高とか思いながら、ソファでゴロゴロ漫画や本を読み、パートナーには適度に甘え、感謝。1日の感想は眠かったとか、あのカップラーメンまずかったとか、セブンのスイーツ美味しかったとかそんなもんで良い。でも、今日みたいな日が、明日も明後日も続くと良いな〜みたいな。

これまでは、幸せも、反抗の道具や鎧にしようとしていたような。そりゃあ、幸せになれるわけないわな。

頑張る私物語をこじらせると、天然で愛される人とか、自分を保って生きている人や、環境が恵まれている羨ましい人を、頑張っていないずるい人にすり替えて悪者にだってできます。

すごい、羨ましい、コツを教えてもらって私もああなりたい、仲良くしたいで良いのに。

そもそも、「負けを認める」と言うことは、たんなるラッキーな気づきなのでは…。

私はこれができないのか!じゃあ得意なところを伸ばそう、という。

とりあえず、学校の勉強は淡々とやり、家では文明に甘えて、楽に楽しく!


一回ミスしたら、首!

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不幸な自分から抜け出したい!と思って、物を捨てたり、仕事を辞めてみたり、ゲストハウス行ったり、海外一人旅してみたり、移住を目論んでみたり。

自分を、環境を変えなくては、あれを手放せば、これを手に入れれば…。足りないもの探し、要らないもの探しに夢中でした。

でも、本を読み、友達に会いに行き、世界をみる、「自分の視点の問題」という事に合点がいきました。

これからは目の前のワクワクには従うけど、極端に変わろうとしないで淡々と普通に生きていきたい。

今は、「足りている、やりたい事やっている、社会から愛をもらっている」こんな風に思えるようになりました。気がつけば、できの悪い私を見捨てずにフォローしてくれる優しい人達、お茶したり、ピクニックに誘ってくれる友人や、私と遊ぶのを楽しみにしてくれている友人の子供たち。

世界はもしかしたら、優しいところかも?もしかして私は愛されていたのかも…?騙されたと思って、こんな風に世界を見てみると、ザクザクとそんな証拠が集まってきました。

これまでは「私は不幸」という瞬間を切り取り続けてきました。だって30過ぎて結婚してないし、正社員じゃ無いし、あれもこれもないし…。ないもの探しはキリがない。

ですが、おもしろいことに、私に足りない物を持っている人達も、私にはあれが足りないこれが足りない…と真剣に悩んでいました。結婚している人も、正社員で働いている人も、起業して成功している人も。

事情はそれぞれ違うけど、みんなの悩みの核は「もっと愛されたい」といった内容でした。

みんな、私よりあれもこれも持っている人のはずなのに。 

アドラー心理学の幸せの定義は、あれをしてあげたとか、行為レベルの話ではなく、自分が存在している事で、誰かの役に立っているという「他者貢献感」なのだそう。私がいるからお母さんは、旦那さんは、子供は、嬉しい。

住む場所とか物とかお金というより、「愛」の問題。だから、あれもこれも持っている人達も悩んでいたのか?

出会う子供達を見ていると、はっとさせられることがあります。彼らは自分の欲求に素直。複雑に見える大人の問題も、子供たちが求めている欲求ともしかしたら同じなんじゃないか。

「(もっと)愛されたい、(もっと)こっちを見てよ」

とてもシンプルな欲求。だけど、大人になると、状況が複雑になったり、素直になれなくなったり。「愛されなかった」がこじれてしまったり。「私はこんなに傷ついた事を理解してほしい」が満たされないのも厄介。

真実をほじくり出そうとしてドツボにはまったり、「傷ついた」を分かりやすい形で表そうとしたり。傷ついた分を取り戻そうとしたり。

愛の問題の悪循環は、「愛されていない」と思った瞬間から始まるようで、愛されていない証拠探しをして、傷つく→愛されないなら、極端に悪くなって相手を引きつけようとする→傷ついた分、我慢した分を相手から取り戻そうとしたり、相手に怒りをぶつけたりする。

これまでの自分のことや、まわりの人の話を聞いていてふと疑問に思ったのですが、「愛」の採点の厳しさ。

長期的に見ると、沢山の愛をもらっているはずなのに、一回ミスしたら首!と言わんばかりに、愛の問題になると、ノーミスを求めてしまうのか。そして、その後に、「私はこんなに傷ついた」がもつれていってしまい。

「愛されている」に置き換えてみること、相手を責めたり、傷ついた分を取り戻そうとする前に、傷ついた事をまずは自分で認めること、普段から、相手の為と勝手に我慢のシンデレラにならないで、嫌なことやめて好きな事をして、人生は楽しく生きておくこと。この辺が対策?

それにしても、仕事の方が、まだ寛容的な気がする。

なんで何だろう?











地獄でなぜ悪い

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学校は想像していたよりも内容が濃くて、短期集中で、アレヤコレヤをぎゅっと濃縮して講義が進むこともあり、脳みそがパンクしそう😱

「脳だけ尋常じゃないくらい疲れる」というのはほっとくとなかなかやばいようで、今のうちに対処方法を身につけておきたい。

とどのように動かないタイプだったのですが、体が運動を求めているのを感じ、歩きたいな〜と思って、学校帰りに一駅、二駅と散策することが増えました。

新しい発見はあったり、なかったり。

最近よく行く、パン屋さんのパンが美味しい。外観は商店街にありそうな感じでおしゃれではないけど、ちょっと嬉しくなる素朴な美味しさ、程よい価格。オーガニックな国産の材料でこだわったおしゃれパン屋みたいな特別なステータスはないけど、優しい味。

そのパンをおしゃべりして笑いながらみんなで食べたり、ここのパンおいしいよね〜とかそんな話をしているのが好きです。

あ〜、こういう感じって凄く良いな〜と思います。こんな穏やかなことが、明日も、明後日も何気なく続いていってくれたら良い。

特別な何かで補わなくても。幸せって、もしかしたら、こんな事なのかなと思う。

特別なステイタスをコンプリートしていくのが幸せで、あれがない、これがない=不幸と思っていたけど。多分違うのだな。

いわゆる、一般的な幸せ…正社員でそこそこな暮らしをして、結婚して、子供がいて、家を買ってという幸せが手に入らなかったら、何かクリエイティブな職業についているとか、キャリアウーマンでサバサバした強い女性になっているとか、起業するとか、それも無理なら移住して豊かな暮らしを手に入れるとか。

誰にも文句を言われない「第1段階の幸せ」ゾーンからはみ出たら、「何か特別な」幸せや生きたかで補わなければいけないような気がしていたけど、そういう訳ではないのでは。

散々もがいて、「もしや、変わらなくてよかったのでは?」という思いがチラチラ湧いてきます。自分を変えるというよりは、世界の見方を変えれてあげれば、良かった…?

自分を変えるというよりは、すねていたのを辞めて、疎遠になっていたお友達に勇気をだして連絡とってみたり、自分を責めるのを辞めたり、本当はあの時も、この時も愛されていたことを思い出したり。

大きく生活を変えるより、そんな作業をすることが必要だったのかも。

時々、友達とあって笑ったり、不安を共有したり、お友達の子供と私のスマホポケモンゴーをするとかしないとかで、小学生の兄弟みたいなやり取りをしたり、大勢でピクニックに行く事になったり。

「今」にいっぱいいっぱいで、確実に、良い方向に行っているのだけど、時々過去のどす黒い事を思い出して、「あーー😱」となることもあります。

「愛されたかった人に愛されなかった」問題は根が深い。自分でも、まだやるか?と思うのだけど、あの時こうしていたら…とか、本当はこうだったんじゃないか?とか「愛されたかったけど愛されなかったあの人との事」の出来事のあれこれの事実を確認しようとしたり、自分を責めてチクチクしたり。

でも、真実を追求するのってあまり意味がないんだそうです。事実より、「傷ついた」という気持ちを認めて大事にしてあげる方が大事なのだそうです。

事実を追求しても、本当はこうなんじゃないの?また嘘をついてるんじゃないの?許せない…とか、私があの時こうしてたらこんな事にはならなかったじゃないか…とか、相手や自分を責めたり、終わりがない。

対処方法は、「傷ついた」という気持ちを漂わせておくのが良いらしい。そのうち飽きるから…だそう。

でも、グルグル考えても辛いし、気分転換に出かけるのも、何かするのもあれなので、最近は「あー😱😱😱」となったら星野源の「地獄でなぜ悪い」という曲を大急ぎで聞くようにしたら、良い感じ。

曲の感じが爽やかだから、ドロドロした方に気持ちがいかない。タイトルが素敵。

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諦める、負けを認めるの勇気。

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相変わらず脳みそパツパツだけど、学校の勉強は少しずつ理解できるようになってきました。

学校に行き始めたばかりの頃は、何度やっても上手くできなくて、白旗〜って感じでした。

真面目に授業を聞いてても、どんなにメモを取っても実践すると、寝てた人に負けてしまうのです…笑。

どういうこと!笑。

やばい、向いてない。でも今更辞められないし(辞めても良いのですが)、辞めた後どうしよう。挫折したとかかっこ悪いし、今後どうするか考えるのも面倒くさいし、あー、向いてないどうしよう。こんな事を考えていました。

で、無意識に頑張るほうへシフトしてました。もっと頑張る、居残りして先生に聞く。

なんだかんだ、少しずつできるようになってきたので、せっかくなので続けますが、諦める勇気って、いつどこで教わるんだろう〜なんて事を思いました。

「適材適所」

得意なものがあるなら、そっちを活かせば良いではないか。営業トークは得意だけど不器用なケーキ職人なら、長所の営業トークを生かした仕事すれば良いじゃないか。

でも、人ってつい頑張っちゃうんです。思考グセというのもあるけど、だって、「頑張る」を選択したほうが楽。世の中の空気的に。

だから、頑張っちゃうんです。
なんでだろう。苦しいのに、一時的には頑張る方が楽という、アリ地獄みたいな現象!

頑張るを選択すると、無理しなくても良いんだよと言われるけど、頑張らないを始めから選択しようとすると何か言いたげな人が現れたり。

ダチョウクラブみたいなお決まりの前振りみたいな物なのか。なんなんだろう。

「負けるな!逃げるな!」という事を主張する学校や会社にあたる事が多いです。私のリサーチ不足もあると思うけど…。そんな環境だと、なおさら、頑張る1択の雰囲気になってしまう。

でも、いつもいつも、あーあ、私の考えとあわないな〜と思っていたけど、そもそも、そういう事は言ったり思ったりしてはいけないんだと思ってた。

でも、今、最悪〜って思った世界から一歩踏み出して思うのは「撤退」は勇気であり、生きる上でとても大切だと思った。

恋愛であきらめられない、ブラック労働でフラフラなのに、自分がやばい状態にいることに気がつけなくなってしまったり…。

「頑張る、あきらめない」が暴走したり、諦めようのブレーキがかからないほうが怖いと思うのだけど。

撤退して、1人になって、また次の居場所探しをして。けっこうな大冒険を選択しているのですが??

諦めないで頑張らない事は褒められるけど、諦めたことを褒めてもらえる機会ってあんまりない。

諦める勇気ってけっこうなものなのだけど。

負けを認めて、次の大冒険にでる。とっても男らしいと思うのだけど。







虫の音でも聞いて。

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朝起きて、毎日行く場所があるのは良い事だ。

だがしかし、久々の学生生活。脳みそがパツパツ。見事に落ちこぼれております。ずっと勉強してみたかった事だから、念願叶ったり、ですが、向いてないなこりゃ。

座学なので脳みそだけが疲れていきます。寄り道したくて、川沿いに1人でいった。

(気持ち良いし、癒されるけど、そろそろ1人は卒業したーい)

音楽を聴くのも気持ち良いけど、イヤホンをはずして、虫の音、草木が風でそよぐ音、頬にあたる風をかんじ、空を見上げたら、頭が空っぽになれてよかった。

スマホいじって、部屋にいると、どうもあれこれ考えてしまう。悪いことばかりではなく、デザインだったり、転職活動に持っていく資料の構成はこうしよう!とか。

ついつい、グルグル考えて、脳みそが休まらない。

頭空っぽにしたい時は、また来よう。

みんなが当たり前にこなしている事が、できない!せっかくなのでこのまま続けますが、笑っちゃうくらい落ちこぼれてる。まあ、就職する前に気がつけてよかったね、という事で。

学校は若干厳しめで1日休むとついていけなくなる感じなのですが、「休んでも良いし、別に辞めたって良いんだからね」と自分に許可を出しながら、通っています。

あくまでリハビリであり、ボーナスみたいなものなのです。(職歴と、ブランク的には絶好の切り札にはなるのだけど)

脳みそが新しい知識でパツパツなお陰で、よけいなことを考えるメモリがない。テレビの中の出来事に怒ったり、過去にあんな事されたとか、あの時どうだったとかこうだったとか。

「女は上書き保存」なんて素敵なハッピー体質。

新しい知識で脳みそがパツパツで、上書きするたび、モヤモヤした事あれこれあった気がするけど、何だったかな…。

プライベートなモヤモヤは仕事やお勉強を頑張ることでそれどころではなくなっていく。やりたい事やってると、良い意味で、鈍く、図太くなる。それどころでは無いのです。

また行こう。脳みそパンクしそうになったら。







脱隠居してみて。

無印良品のパジャマをようやく買った。嬉しい。綿のパジャマがずっと欲しかったので、念願叶ったり。

Tシャツとかトレーナーとかより、綿の方が織りがみつなので体が冷えないとかなんとか。

無印良品のパジャマは何年も前から欲しかったのに、買えなかったものの一つでした。なぜかか「本当に欲しいもの」に近づけない体質で。クリアできて良かった〜。あとは、仕事と引越しかな。これは半年くらいかけて、セットでやろう。最終関門は、家族やパートナー、自分が家庭を持てるか否か…かな。すねないで、一つ一つゆっくりと。

お母さんからの手紙に返事も書こう。前回送ったもの、大したお土産でもないのに大事に眺めてくれてるみたいだから、また何か送ってみよう。何が良いかな。

脱、隠居生活だいたい1週間位でしょうか。

まだ体が慣れなくてぐったりしてますが、おおむね楽しいです。朝、駅に向かうのが清々しい。朝は星野源さんの音楽を聴くようにしたら、日常の世界がなんとなく優しくなる感じがして好きです。

学校は、周りの人が良い人ばかり。色んな人のお世話になることも多くて、消耗した心に「ありがとう」が溜まっていくのを感じます。「ありがとう」がいっぱいになったら、また社会にも還元できるかな〜。

みんなで難しいね〜とか、頑張ろうね〜とか、些細なことを共有しあって笑えるのも楽しい。

お勉強の内容が思いのほか難しくて、冷や汗をかくことも。皆さん優秀で、みんなが出来ることができなくて焦ったりも。プレッシャーをかける方針のようで、学校のやり方や勉強している分野の業界の雰囲気は今の所嫌だと思っているのですが、まあ、それはそれで。その分野が合わないと理解できることも、収穫の一つだから。前職で意地になって7年も時間が過ぎて、体調も崩して、もったいなーい。

「これはやだ、これは好き、私には向いてなかった」を理解しながら転職活動の参考にしていきたいです。

軸は「嫌なものをやめて、好きなことをする」社会に放り出されると、心の中でしっかり軸を持っていないとあっという間に根性論の世界に流されていく。

根性論の世界の人は俺はこんなに大変だったんだぞ!お前なんて…みたいな話が好きだけど、すごいなあ、大変だったんだね。あなたは凄い人なんだね!でも、私は違う世界にいたいんだ。なんて思いながら話を聞いてみたり。

ものと心の整理の第2弾として、「すねない」「意地にならない」「負けを認める」「普通の自分でいること」を意識しようと思って、流行りの音楽も良いなと思ったらダウンロードしてみたり、食べるものや、着るものも周りの意見を取り入れてみたりしようかと。ベースは変わらないけど。

凄く良いお店や、コスパが良い店や物を、調べて調べて…では無くて、通りすがりの何となく惹かれたものに乗っかってみる。

何となく心地良くて、自然な流れに乗ってみる。たまには「特別」なものも良いけど、もっと気楽に。

今日の「好き」や「向いてなかった」「嫌だった」とか、無理に流れに逆らわないで、負けも素直に認めて、明日に渡していくような。

「諦めないこと」は学校、職場、テレビなどから発信される事が多いけど、諦める事を大事だと思う。例えば、意地になって嫌な仕事を続けて体を壊したり、恋愛がこじれたり。諦めることも大切な学び。

学校では煽られる事も多いのですが、そんな感じで過ごしていけたら。落ちこぼれても良い。

今までトドのように過ごしていた事、なれない分野でストレスを感じることもありますが、勉強したかった事を勉強できるのはやっぱり楽しいです。

そして、毎日行くところがあること、一人じゃないって素敵❤️

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一旦、隠居終わり。

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久しぶりの学生生活が始まりました。
思いのほかプレッシャーをかけられることも多いのですが、クラスの方がみんな良い人ばっかり!

 世界ってこんなに優しい人ばっかりだったんだ〜と拍子抜け。最近は高畑充希ちゃんの歌声が癒しで、忌野清史郎さんのカバーのデイドリームビリーバーを聞いて涙してみたり。

物の断捨離に続いて、一番やりたかった心の整理もだいぶ終えて、こころのあかや黒い物もだいぶ落ちた感じがします。

隠居したから、物を捨てたから、変わったという訳ではないけれど、1〜2年前よりだいぶ良くなった気がします。

このブログの説明をみると、不幸な私を変えたくて〜みたいなことがかいてありますが、以前はずっとモヤモヤして、不幸だと思ってました。

「どうせ幸せには生きれない!ほら見たことか!」とそんな目で世界を見ていました。

幸せな世界に私がはじかれたのではなく、私が勝手に「一人で頑張る不幸な私」バリアをはってしまっていたみたいで。

「世界は最悪なところ」カメラマンになり、課題の分離ができずに世界中の悪いことを探して回って他者の課題で勝手に怒り…。

また、「自分の幸せ」ではなく、人から見た幸せ(大嫌いな祖父母に言われた)と照らしあわせて私にはあれはないこれはない…と思ったり、幸せなはずなのに何か違うと悶々としたり。

以前は原動力が怒りとか、反抗心、劣等感的等が強かった気がするけど、今は軸が自分に戻ってきた感じで、今後は「修行僧」的な暮らしではなくて、ゆるく楽にやっていきたい。

本を読んだり、児童福祉をやってる方のブログを読んだりしてると、うわー!これ、私だ😱と子供の問題行動の事象にギクリとしたり。

社会やまわりのせいではなく、「私がすねてた子供だった」それだけのことだったんじゃないかと。

お母さんにすねたまま大人になって、それを認められず、すねた気持ちの対象が会社となり、彼氏になったり、していたのかな〜とか。だから、変わるのは、職場や住む場所、自分自身というよりは、私が世界を見る目を変える。

そう考えると、ありがとうとか、ごめんねとかそんな気持ちが溢れてきます。自分にも、周りにも。なんで?どうしてと思っていた人にも愛してくれていたのに、ごめんねという気持ちが溢れてくるから不思議です。

アドラー心理学の本を読んで、「特別に良い」を目指してそうなれなかった人は、いわゆるヤンキーみたいな「特別に悪い」存在になろうとするというのを読んで、あはは〜と吹き出してしまいました。

勝手にあれこれ人と比較して、自分は特別に幸せじゃないと思いこみ、特別なもの…例えば、「いつも片付いているお洒落な部屋」「オーガニック」「極端にものを持たない」「すごくこだわって作られた⚪︎⚪︎」とかが必要だったのかもしれないけど、これからはどっちでも良いや❤️と思っています。

今後目指すのは、特別な幸せや、特別な自由、特別に素敵な生活ではなくて、普通でゆるくて、自分や友達や家族をほどほどに大事にする暮らし。

ディズニーツムツムやって一日が終わってしまったとか、休日は友達と近所のファミレスでお茶して終わり〜、あー楽しかった❤️というような。

今日1日の感想は、眠かった、とか、梨が美味しかったとか、もしくは1日の感想は特にないような。

みんなも、私も、楽で楽しいほうを選べれば、なんでも良いや。その時に、すきなほう。

アドラー心理学の本や心屋さんの本を読んで、自分は幸せじゃないと思ってたのって、私がすねてただけ?と思い、騙されたと思って、前提を変えてみることにしました。

「世界は優しいところ」「そのまんまで良いけど、好きなことして、嫌なことやめても良い」「どうせ幸せになれるから大丈夫」そんな事を前提にしたら、優しい人ばかりが周りに現れるようになりました。カラクリは、私が切り取る瞬間が変わった。とてもシンプルで。

明確な正解がわからないことは、自分が好きなほうを選んでみる。頑張って新しい武器を得る必要も、何かと戦う必要も、変わる必要も無いし、ゆるゆるしておこう。

あいつー!とか、振り向いてもらえなかったという気持も、ずっと夢みさせてくれてありがとうと置き換えると、ポロポロ涙が出てきて胸のつかえがとれたり。

言葉や世界は、角度次第ですね。おもしろ。







負けを認めて、振り上げた拳は気軽におろして。

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赤ちゃんの日にしよう〜と思ったら、面白いもので、まあ、やっても良いかなと思って、掃除して、洗濯して、月額契約していたものの解約手続に行きました。解約は頼みにしてたけど、結局手続がめんどうで放置されていた。
解約をしたおかげでいくらかお金に余裕ができ、可愛いな〜でもキラキラしてて近づけないと思ってたお店でディナーする事に。数百円の贅沢で…と思っていたけど、ときめいちゃったからしょうがない。それで良しとする。
ときめきふらふら散歩も許そう。「一人で頑張る不幸な私」「頑張ってがまんする私」劇団は解散〜。かわなくてもどうにかなった、安く抑えられて楽しい、その時に一番ときめいたものをフラフラ選べば良いや。でも、「我慢した私」劇場になってるのなら、そうじゃないほうを選ぼうっと。
これからは、物の大小や、オーガニックとかどっちでも良いや、その時にときめいた方、楽な方で良いや。ありがとう隠居生活、暮らしを小さくして、お金を使わない生活をした自分。でも、これからは、どっちでも好きな方で良い。
振り上げた拳をおろすのに、理由も言い訳も要らなかったのね。拳を降ろしたいと思ったから下ろす。ときめいたから、その方が楽しいから、やっぱり嫌になったから。やっぱり私が悪かった、ごめんね。
振り上げた拳を引っ込めるのも、負けを認めることも、勇気と強さ。
あの人は仕事ができる、凄いな〜!頑張ったのに入賞できなかった、悔しい。でも、あの人たち本当に凄いな〜!あの人は美人で頭も良くてみんなに愛されてる、私も好き〜!大好きな彼と別れて悲しい、でも、彼が選んだ人は確かに彼にぴったり。また別の恋を見つければいっか。
張り合ったり、勝手に劣等感を感じでたり、目の前の出来事を利用して幸せになれない理由をでっあげたりもせず、あ〜、まけた〜、残念、凄いな〜、羨ましいな〜っ「でも、大丈夫。まあいっか」て思っておけば良いや。
退職間際に読んだけど、イマイチ頭に入ってこなかったアドラーの本を読み直しています。心理学の本を読むと、辛かったあれやこれも、笑えるコント劇場だったんだな〜とか、私も、嫌いなあの人も、大好きだったあの人も、大嫌いだった会社も。ごめんねありがとう、私のコント劇場に巻き込んでしまって。と思えてくるから不思議です。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII


退職間際にアドラーの本を読んだけど、心身ボロボロでヘロヘロの時に、対話式で文字がいっぱいで、本題に入る前に脳が拒否しはじめてしまって…笑

あげく、とっても悩んで本を手に取ったのに、「お前が悪い、原因は悩みの対象にあるのではなく、全部お前の感じ方のせい!お前が変われば全てかわる!」と責められてる気がして心が折れてしまったのです。でパラパラ〜と読んだものの、責められてると思って読んだから内容が入ってこなかった。

アドラー心理学を教えてくれる「哲人」とアドラー心理学はおかしいと主張する「青年」の対話で物語が進みますが、最初の方は「哲人」がこっちは真剣に悩んでるのにお前が悪いって言ってくるし、「青年」はずっとワーキャーうるさいし、地獄絵図みたいでつらっ😱って思ってしまった。

でも、心が落ち着いてから読むと、こりゃあ!面白い!!おもしろー!

課題の分離は確かにできてないなあ、とか、内的要因の問題だから、幸せになりたい時に、田舎に引っ越せば幸せになれる!とか、会社をやめれば幸せになれる!とかの問題でもない事を納得。

環境が変わっても、自分の思考ぐせが変わらなければ何にも変わらない。環境はあくまで、一要素でしかなく、環境が主体となっては元の木阿弥?

会社は心底嫌だったから辞めて、隠居&海外旅行し、勉強したかった事をこれから勉強し、おもいきり製作活動に没頭できたからやりたかったことは十分できたから良かったけど、アドラー心理学やもっと早く心屋さんの本に出会えてたらあんなに悩まなくてよかったのかもと思った。

なんだったの、あの時間たち…!

あー!残念!

負けを認めるって、こんなに気持ち良いのか〜。