気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

小さなアウトソーシングでワクワクする日々。

「丁寧な暮らし」的なものが好きです。

ハンドドリップでコーヒーいれたり、保存食を作ったり。でも、もっと便利な社会に甘えて、自分を楽にして良しとしていこうとワクワクしている。そぎ落としたこのお家に、何が入れば楽に楽しく暮らせるかな〜。

今は、ここ、ごちゃごちゃしててやだな〜、でももうこれ以上ものは減らしたくないしな〜というところを無印良品で収納品を買って、便利になった!とか嫌だった場所がすっきり片付いた嬉し〜とか喜んでいる。

やっぱり無印良品は最高。こんな収納用品が?発明!天才!と思うようなものも色々あって、ワクワクしています。

「丁寧な暮らし」「オーガニック」「持たないこと」にはまっていた時期が長いので、便利な文明の道具は持ってないものが多いというか、持たない!買わないし!と意地になっていたところもあるのかも。

オーガニックとか、丁寧な暮らし的なものが基本的には好きです。でも、それを利用して「頑張る私」と「社会への謎の反抗心」物語に利用してたのだな〜と心屋さんの本を読んで思って。

東京にいる楽さと比べた時に、断トツで移住、すぐ準備ってならないのは、本心ではどっちも同じくらいの好きなんだな〜と理解したら腑に落ちました。

それで、暮らしのど真ん中は、私(家族・友達)が楽に楽しく暮らせるのが一番大事!というある意味、当たり前の事を今更思い。

誰かが遊びに、泊まりに来た時に、快適に過ごしてもらえる程度のものの余裕が欲しい。

今までは自分の中でタブーにしていた物も、「楽しそう、楽に暮らせそう」と思ったらどんどん増やしていこうとおもって、ワクワクしています。

掃除はしばらく、小さなアウトソーシング。無印の電解水の掃除用シートに頼ります。値段は2倍位するのですが、100均ではなく、無印もの。無印のほうが好きだし、使いやすいから。こういう、小さい贅沢や好きを繰り返そうと思ったら楽しくて!

外食を増やしたり、自分でマッサージも良いけど、薬局で体をほぐすものを買ったり。本当に小さな事なのですが、家も体も楽になっていく。

400円、700円とか、1200円とかちょっと便利の為にこの金額なら我慢しよう!と思っていたのですが、「嫌なことやめて、好きなこと」に該当するならドンドン便利な社会に甘えてしまおうとワクワクしている。入浴剤を買うのも良いかな〜。

4年間、電子レンジなし生活でしたが、オーブンレンジやっぱり欲しいな〜。

昔の人のように暮らせば、あれもこれもいらない!労働時間も減らせる!今の社会はけしからん!と、勝手に、社会からの脱落者のような、幸せゾーンに入れなかったと思ってすねて、反骨心のようなものがあったのかもしれません。

でも、それは私の勘違いで勝手に拗ねてただけなんだなからと心屋仁之助さんの本を読んで、ふむふむなるほど〜と色々と腑に落ちるところがあって。

すごく薄い本一冊なのに読むのに時間がかかり、涙をこぼしたり、すごく悲しかったことも確かにあれはコントだった…と思って笑えたり。繰り返し読もう。

心屋さんの事は、昔ナイナイの番組で見てなんとなく知っていて、遠野なぎこさんの回が特に印象的だったのを覚えています。

でも、毎回毎回、相談者が号泣していたのが印象的でそんなに!?と思っていたけど、私も泣いたり、体調崩すほどだったのになるほど〜、あれは目の前の出来事を使って、私が思った世界を作り出した、コント劇場だったんだな〜と面白い、笑えると思えるようになりました。

身の回りに起こること、どこにポストイット貼るの?の違いの話で、世界は本当は優しいところだったんだな〜と。99個の良いことを通り過ぎて、1個の嫌なことに付箋を貼る作業をすると、やっぱり世界は嫌なところ!になる。

誰も助けてくれない、私は独り身だし…ブツブツと思っていたけど、「私は一人できるの!私が1人でできないと思ってるの?」と、見かねて手伝おうとすると「いーの!」と怒る子供の一人でやりたがり病や、不慣れなパソコンを触ってる頑固な爺さんに親切心で教えたのにすねておこっちゃったようなあんな状態だったんだろうな〜。

だから、優しい優しい世界の人たちは、そっとしておいてくれただけだった。だって、そういえば、あの人もこの人も助けようとしてくれたのに、それが正しいと思い込んでいたから自分を否定された気になってしまって勝手にショック受けたりしてたなそういえば。

もっと良い条件で働ける人なんだよあなたはとか、もっと幸せになれるよと本当はそんな事をいってくれていただけなのに。

ふむふむ、確かにコント。そしてコント劇場のシナリオに沿った記憶がピックアップされている。

日曜日にカフェで本を読もうと思って、カフェに行きました。やっぱり日曜日なので混んでいて、近くの2席のグループが結構なボリュームで喋っていて。席が近いからダイレクトに届くボリューム。

(…。周りは気にせず)→「うるさいなあ、本が読みたいのに」→「わたしは嫌なこと辞めて好きなことをしよう。みんなも好きなことしてるんだから、まあいっか」なんて思って自分のやる事に夢中になっていたら2組ともいつの間にか帰ってしまってました。

次に隣に座ったのは、親子2人できてる方で、私もお母さんとああなりたかった、羨ましいを絵に描いたような雰囲気。席が近いのでどうしても会話が耳に入ってしまうのですが、娘さんが言うこと全部包み込んであげて、でも行く道を優しく一緒に考えてくれるような。愛の雰囲気が漂うな。羨ましい、理想的。

ああなってたら周りからも、昔の彼からもあれこれ言われなかったのに…とか色んな気持ちが湧いてきますが、「素敵。羨ましいな」と、ただ、ただそう思いました。

そんな事を思っていると、思っていた物と違う物が届いてしまったらしく、店員さんに柔らかく、即質問をされていました。日替わりでちょっとメニューが変わるものらしかったのですが、「あ、本当だ確かに書いてあった。うそー!私そっちのほうがすきなのよ!ラッキー」みたいなことを言っていて、なんて素敵なんだろうとおもった。

私なら、言おうか…言うまいか…どうしよう。モヤモヤモヤ→やっぱり言ってみよう→日替わりでして…→そうなんですね^_^→(もっとわかりやすく書いてよ〜😢)→こんなことくらいで色々思うのはダメだからなかった事にしよう

になるからです。で、これを溜め込んで時々大爆発を起こすみたいな。

ああなれたら最高だな〜と思いつつ、カフェを後にし、家をすっきりさせたくて収納品を見にお店へ。

なかなかしっくりくるものが無いなあ、無駄になるかもしれないけど買ってみる?それともそのままにしようかと頭を抱えていたら店員さんが話しかけてくれて、気遣いの言葉と一緒に検討していた物より拍子抜けするくらい安くすんで、ぴったりな物を教えてくれました。

「何かお困りですか?買って失敗しちゃうと大変かなって思って。良いものあるのでもしよかったら…」と。

帰りがけ、とっつきにくい雰囲気にみえた男性が、駐輪場で困っている見知らぬお爺ちゃんを助けてあげているのを見ました。

世界は優しいところで、周りはヒーローだらけだったのに、私が勝手にすねて、誰も助けてくれない、嫌なところだと思って、その証拠集めをしてただけだったんだな〜と。

愛されない嫌な世界というタイトルでほら!やっぱり!やっぱり嫌な世界で、私は愛されない!という写真を撮り続けるフォトグラファーみたいな。

一人で頑張らないとダメなんだと思っていたけど、パソコン音痴の頑固者のじいさんが、「うるさい!俺は1人で出来るんだ」とやっていたのを、優しいこの世界の人達は意向を尊重して付き合ってくれてただけだったんだな〜。おもしろい。

ても、私が(1人で)頑張らないとって、これが知らぬ間に相手を否定してたのかも…と思ったり。

甘えたり、助けを求められるのって、その人にあなたが必要と言ってるのと同じなんだな〜と。だから助けを求めないなや、「私なんかのために時間を使わせるなんて」というのは謙遜しているようで相手を否定して拒否してたのと同じなんだな〜と。

気遣ってたつもりが実は相手を否定してたり、傷つけられたつもりが傷つけていたり、相手のために私だけが頑張ってたつもりが、相手を否定する事になってしまっていたなんて。

おもしろい。

そりゃあ、自分を必要としないで、(一人で嫌な事も)頑張って、時々爆発する人より、助けて手伝ってと自分を必要としてくれてニコニコしてくれる人と一緒にいたいですよね、誰だって。

色々腑に落ちました。

これまでたくさんの人が助けようとしてくれたのに、勝手にすねて疑ってごめんなさい。愛してくれ無かったと思ってしまった大切なあの人達、沢山の愛をくれていたのにごめんね。ありがとう。

そんな事を考えていたら涙が溢れてきました。

もうすぐ新しい生活が始まってしまうので、肩こりをどうにかするのを続けながら、もうちょっとやってみよう、この実験。

世界は優しくて、楽しいところだったんだ、もとから。