気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

むじゃきに、ポチポチ。

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学校では、断トツで落ちこぼれていますが、毎日笑って、みんなに助けてもらって、どうにか生き延びています。

幸せで不満もない毎日。お金は無いけど。
ずっとみんなでいたい。学校から帰った後のお昼寝が幸せすぎる。

けど、どんどん無くなっていくお金。転職に向けて、少しずつ準備をしていっています。

今のところ、自宅を警備していたころや、海外を少し放浪していた頃より、今のほうが楽しい。

会社や学校で人に囲まれている方が私は楽しい。フリーや起業より、働きやすい会社での就業を目指すことにしました。それと、働きやすい会社を踏み越えてでも、どうにもときめいてしまった仕事とか。

(ある程度したらまた考えてみよう)

まずは、働きやすさ第一に。

今は、準備段階。授業を通して、知識を身につけたり、向いてない、苦痛な作業を発見したり。

実際に勉強してみると、思っていた以上にできなかったり、完全白旗だったり。専門的な分野の入り口みたいな事を幾つかやっているのですが、どうやったって理解も興味も持てず、結果もボコボコな分野が出てきました。今までなら、努力しなきゃ、できない自分を責めたり、克服しなきゃに傾いていたけど、今回は、できない上に苦痛、「じゃあ辞めよう!早くわかって良かったね」にしています。

卒業できる程度にはやるけど、これを繰り返します。嫌なことやめて、好きな事をする作戦で、やってて楽しい事、苦にならない事を理解していく。

今のところ、最高に楽しい!早く勉強したくて仕方がない分野もあって、見切り発車で応募しなくて、学校にきて良かったと心から思っています。

その上で、今までならどうせ無理と諦めていた企業に、むじゃきにポチポチ応募ボタンを押していきたい。

今は、どうせ無理だと思わないで、むじゃきに無理目な企業の求人を開いたり、ホームページから求人を見たり。

あんまりあれこれ気にせず、好きな女の子にむじゃきに話しかけに行く、幼稚園児の男の子みたいな気持ちで。

悪い経歴もそのままのせてしまえ。応募書類については、いろいろ見解があるみたいだけど、後でビクビクするより、良い。

卑屈になるのを辞めることにしました。

「色々経験して、頑張ってきました」「あなたのことが好きです」というスタンスに変えてみよう。

昨年作った書類をみると、私は色々やってきたけど、正社員にもなれずにダメなで自信もないけど、頑張りますのでどうにか入れてください…みたいな雰囲気を醸し出していて、いろんな人に怒られました。

怒られた…と心折れたりしたけども「自分の職歴にもっと自信を持ってアピールしなさい」っていうことが彼らは良いたかったのだろうな…。

なので、こんなに色々経験してみましたってていで書いてみます。色々調べていますが、最近は転職活動は好調、人が足りないという話が出てくることが多いです。

実際昨年も、いがいと選考が進んでいくのに驚きました。

ポジティブな、都合の良い情報だけを信じてむじゃきにポチポチ、きっと無理、でも憧れ…な会社に応募してみよう。

大丈夫、ダメでも、10年後には応募したことすら忘れているから。でも、応募しなかったら10年後もうだうだ言ってそう。

ワンクリックで、夢が見れるなら、宝くじを買うよりよっぽどワクワクするよなあとか思う。しかも、何度ポチポチしても、0円。

面接も、ちゃんとした企業だと、あれ聞いちゃダメみたいな規定があるらしく、嫌な思いをした記憶があまりない。

嫌だったら帰れば良いけど、今なら、楽しめるかもしれない。ヤバイやつだ!すげえ!みたいな。そうなったら自分のことはあまり話さないで、相手の話をせっかくだから聞きたい。

(入社はしませんが)

転職活動は、大人の社会科見学でもあり、宝くじを買うようなワクワクするものってきもちでやってみます。

私がひねくれるのをやめて、世界は、本当は優しい場所だったんじゃないか、ひねくれるのをやめて心を開いたら、どこまで優しい場所になったんだろうという実験をやってみようかと思っています。

頑張るほうに、流されがち。

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集団の中にいると、いろんなことが起きます。
 
で、そんな中で、つい、頑張るほうに流されてしまう自分に気がつきました。
 
体がNGの信号を出しても、頑張るのをやめたいのに辞められなかったり。何でなんだろうと思っていたけど、しんどいもう無理と天秤にかけた時に、頑張るほうが楽だと判断していることに気がついた。
 
現状維持だから、環境を変える後始末も不要なあげく、頑張るって「最強の免罪符」だったからなのかもと。
 
頑張ったけど、成果が出ませんでした。
頑張った。けど…。
 
成果が出なくても、頑張ってるんだから、まあまあ、責めないでやってあげなよ。頑張った自分を褒めてあげたい。
 
頑張れば、負けたとしても責められない。不思議な魔法です。
 
逆境に耐えて「頑張る私」は自分を守ってくれる鎧みたいなものだったのかも。幸せというゴールがやってきたら物語が終わってしまうから怖くて手を出せない。
 
頑張る私物語には、役者(嫌な奴)や小道具や設定(嫌な仕事、嫌な会社)が必要だったから、嫌だと思いながらも、あれもこれもあの人も手放せず、変わりたいのに変われないの蟻地獄状態だったようです。
 
世界が嫌な場所だったんじゃなくて、私がすねて面倒臭いやつだった。私が世界は嫌なところの証拠集めをし、どこに行っても同じだとあきらめてしまった。
 
(自分的には)辛くて嫌な仕事、(自分的には)納得できない待遇、(自分的には)大事にしてくれないパートナー。(自分的には)むかつくいやあいつ。丁寧な家事(を頑張る私)自然食(を作って頑張る私)
 
ナチュラルなライフスタイルは好きなら良いのだけど、知らぬ間に社会への後半の道具にすり替わっていたり。目的は何か?
 
「自分的には」の部分は自分にとってはそうでも、他の人にはそうじゃなかったり。解放してあげよう。ほんと。
 
そんな役を引き受けてくれたくれた人や物事もたち。ごめんね、こんな役割を押し付けてしまって。
 
次は、「たまには頑張る、そこそこ幸せな私物語」劇団あたりをやりたい。人から見ればなんてことないけど、当人達はキャッキャッと楽しそう。仕事も自分に合っていれば良い。家事が面倒くさくなったら冷食のキムチチャーハンなどを食べ、クーラー最高とか思いながら、ソファでゴロゴロ漫画や本を読み、パートナーには適度に甘え、感謝。1日の感想は眠かったとか、あのカップラーメンまずかったとか、セブンのスイーツ美味しかったとかそんなもんで良い。でも、今日みたいな日が、明日も明後日も続くと良いな〜みたいな。
 
これまでは、幸せも、反抗の道具や鎧にしようとしていたような。そりゃあ、幸せになれるわけないわな。
 
頑張る私物語をこじらせると、天然で愛される人とか、自分を保って生きている人や、環境が恵まれている羨ましい人を、頑張っていないずるい人にすり替えて悪者にだってできます。
 
すごい、羨ましい、コツを教えてもらって私もああなりたい、仲良くしたいで良いのに。
 
そもそも、「負けを認める」と言うことは、たんなるラッキーな気づきなのでは…。
 
私はこれができないのか!じゃあ得意なところを伸ばそう、という。
 
とりあえず、学校の勉強は淡々とやり、家では文明に甘えて、楽に楽しく!

 

一回ミスしたら、首!

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不幸な自分から抜け出したい!と思って、物を捨てたり、仕事を辞めてみたり、ゲストハウス行ったり、海外一人旅してみたり、移住を目論んでみたり。

自分を、環境を変えなくては、あれを手放せば、これを手に入れれば…。足りないもの探し、要らないもの探しに夢中でした。

でも、本を読み、友達に会いに行き、世界をみる、「自分の視点の問題」という事に合点がいきました。

これからは目の前のワクワクには従うけど、極端に変わろうとしないで淡々と普通に生きていきたい。

今は、「足りている、やりたい事やっている、社会から愛をもらっている」こんな風に思えるようになりました。気がつけば、できの悪い私を見捨てずにフォローしてくれる優しい人達、お茶したり、ピクニックに誘ってくれる友人や、私と遊ぶのを楽しみにしてくれている友人の子供たち。

世界はもしかしたら、優しいところかも?もしかして私は愛されていたのかも…?騙されたと思って、こんな風に世界を見てみると、ザクザクとそんな証拠が集まってきました。

これまでは「私は不幸」という瞬間を切り取り続けてきました。だって30過ぎて結婚してないし、正社員じゃ無いし、あれもこれもないし…。ないもの探しはキリがない。

ですが、おもしろいことに、私に足りない物を持っている人達も、私にはあれが足りないこれが足りない…と真剣に悩んでいました。結婚している人も、正社員で働いている人も、起業して成功している人も。

事情はそれぞれ違うけど、みんなの悩みの核は「もっと愛されたい」といった内容でした。

みんな、私よりあれもこれも持っている人のはずなのに。 

アドラー心理学の幸せの定義は、あれをしてあげたとか、行為レベルの話ではなく、自分が存在している事で、誰かの役に立っているという「他者貢献感」なのだそう。私がいるからお母さんは、旦那さんは、子供は、嬉しい。

住む場所とか物とかお金というより、「愛」の問題。だから、あれもこれも持っている人達も悩んでいたのか?

出会う子供達を見ていると、はっとさせられることがあります。彼らは自分の欲求に素直。複雑に見える大人の問題も、子供たちが求めている欲求ともしかしたら同じなんじゃないか。

「(もっと)愛されたい、(もっと)こっちを見てよ」

とてもシンプルな欲求。だけど、大人になると、状況が複雑になったり、素直になれなくなったり。「愛されなかった」がこじれてしまったり。「私はこんなに傷ついた事を理解してほしい」が満たされないのも厄介。

真実をほじくり出そうとしてドツボにはまったり、「傷ついた」を分かりやすい形で表そうとしたり。傷ついた分を取り戻そうとしたり。

愛の問題の悪循環は、「愛されていない」と思った瞬間から始まるようで、愛されていない証拠探しをして、傷つく→愛されないなら、極端に悪くなって相手を引きつけようとする→傷ついた分、我慢した分を相手から取り戻そうとしたり、相手に怒りをぶつけたりする。

これまでの自分のことや、まわりの人の話を聞いていてふと疑問に思ったのですが、「愛」の採点の厳しさ。

長期的に見ると、沢山の愛をもらっているはずなのに、一回ミスしたら首!と言わんばかりに、愛の問題になると、ノーミスを求めてしまうのか。そして、その後に、「私はこんなに傷ついた」がもつれていってしまい。

「愛されている」に置き換えてみること、相手を責めたり、傷ついた分を取り戻そうとする前に、傷ついた事をまずは自分で認めること、普段から、相手の為と勝手に我慢のシンデレラにならないで、嫌なことやめて好きな事をして、人生は楽しく生きておくこと。この辺が対策?

それにしても、仕事の方が、まだ寛容的な気がする。

なんで何だろう?











地獄でなぜ悪い

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学校は想像していたよりも内容が濃くて、短期集中で、アレヤコレヤをぎゅっと濃縮して講義が進むこともあり、脳みそがパンクしそう😱

「脳だけ尋常じゃないくらい疲れる」というのはほっとくとなかなかやばいようで、今のうちに対処方法を身につけておきたい。

とどのように動かないタイプだったのですが、体が運動を求めているのを感じ、歩きたいな〜と思って、学校帰りに一駅、二駅と散策することが増えました。

新しい発見はあったり、なかったり。

最近よく行く、パン屋さんのパンが美味しい。外観は商店街にありそうな感じでおしゃれではないけど、ちょっと嬉しくなる素朴な美味しさ、程よい価格。オーガニックな国産の材料でこだわったおしゃれパン屋みたいな特別なステータスはないけど、優しい味。

そのパンをおしゃべりして笑いながらみんなで食べたり、ここのパンおいしいよね〜とかそんな話をしているのが好きです。

あ〜、こういう感じって凄く良いな〜と思います。こんな穏やかなことが、明日も、明後日も何気なく続いていってくれたら良い。

特別な何かで補わなくても。幸せって、もしかしたら、こんな事なのかなと思う。

特別なステイタスをコンプリートしていくのが幸せで、あれがない、これがない=不幸と思っていたけど。多分違うのだな。

いわゆる、一般的な幸せ…正社員でそこそこな暮らしをして、結婚して、子供がいて、家を買ってという幸せが手に入らなかったら、何かクリエイティブな職業についているとか、キャリアウーマンでサバサバした強い女性になっているとか、起業するとか、それも無理なら移住して豊かな暮らしを手に入れるとか。

誰にも文句を言われない「第1段階の幸せ」ゾーンからはみ出たら、「何か特別な」幸せや生きたかで補わなければいけないような気がしていたけど、そういう訳ではないのでは。

散々もがいて、「もしや、変わらなくてよかったのでは?」という思いがチラチラ湧いてきます。自分を変えるというよりは、世界の見方を変えれてあげれば、良かった…?

自分を変えるというよりは、すねていたのを辞めて、疎遠になっていたお友達に勇気をだして連絡とってみたり、自分を責めるのを辞めたり、本当はあの時も、この時も愛されていたことを思い出したり。

大きく生活を変えるより、そんな作業をすることが必要だったのかも。

時々、友達とあって笑ったり、不安を共有したり、お友達の子供と私のスマホポケモンゴーをするとかしないとかで、小学生の兄弟みたいなやり取りをしたり、大勢でピクニックに行く事になったり。

「今」にいっぱいいっぱいで、確実に、良い方向に行っているのだけど、時々過去のどす黒い事を思い出して、「あーー😱」となることもあります。

「愛されたかった人に愛されなかった」問題は根が深い。自分でも、まだやるか?と思うのだけど、あの時こうしていたら…とか、本当はこうだったんじゃないか?とか「愛されたかったけど愛されなかったあの人との事」の出来事のあれこれの事実を確認しようとしたり、自分を責めてチクチクしたり。

でも、真実を追求するのってあまり意味がないんだそうです。事実より、「傷ついた」という気持ちを認めて大事にしてあげる方が大事なのだそうです。

事実を追求しても、本当はこうなんじゃないの?また嘘をついてるんじゃないの?許せない…とか、私があの時こうしてたらこんな事にはならなかったじゃないか…とか、相手や自分を責めたり、終わりがない。

対処方法は、「傷ついた」という気持ちを漂わせておくのが良いらしい。そのうち飽きるから…だそう。

でも、グルグル考えても辛いし、気分転換に出かけるのも、何かするのもあれなので、最近は「あー😱😱😱」となったら星野源の「地獄でなぜ悪い」という曲を大急ぎで聞くようにしたら、良い感じ。

曲の感じが爽やかだから、ドロドロした方に気持ちがいかない。タイトルが素敵。

諦める、負けを認めるの勇気。

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相変わらず脳みそパツパツだけど、学校の勉強は少しずつ理解できるようになってきました。

学校に行き始めたばかりの頃は、何度やっても上手くできなくて、白旗〜って感じでした。

真面目に授業を聞いてても、どんなにメモを取っても実践すると、寝てた人に負けてしまうのです…笑。

どういうこと!笑。

やばい、向いてない。でも今更辞められないし(辞めても良いのですが)、辞めた後どうしよう。挫折したとかかっこ悪いし、今後どうするか考えるのも面倒くさいし、あー、向いてないどうしよう。こんな事を考えていました。

で、無意識に頑張るほうへシフトしてました。もっと頑張る、居残りして先生に聞く。

なんだかんだ、少しずつできるようになってきたので、せっかくなので続けますが、諦める勇気って、いつどこで教わるんだろう〜なんて事を思いました。

「適材適所」

得意なものがあるなら、そっちを活かせば良いではないか。営業トークは得意だけど不器用なケーキ職人なら、長所の営業トークを生かした仕事すれば良いじゃないか。

でも、人ってつい頑張っちゃうんです。思考グセというのもあるけど、だって、「頑張る」を選択したほうが楽。世の中の空気的に。

だから、頑張っちゃうんです。
なんでだろう。苦しいのに、一時的には頑張る方が楽という、アリ地獄みたいな現象!

頑張るを選択すると、無理しなくても良いんだよと言われるけど、頑張らないを始めから選択しようとすると何か言いたげな人が現れたり。

ダチョウクラブみたいなお決まりの前振りみたいな物なのか。なんなんだろう。

「負けるな!逃げるな!」という事を主張する学校や会社にあたる事が多いです。私のリサーチ不足もあると思うけど…。そんな環境だと、なおさら、頑張る1択の雰囲気になってしまう。

でも、いつもいつも、あーあ、私の考えとあわないな〜と思っていたけど、そもそも、そういう事は言ったり思ったりしてはいけないんだと思ってた。

でも、今、最悪〜って思った世界から一歩踏み出して思うのは「撤退」は勇気であり、生きる上でとても大切だと思った。

恋愛であきらめられない、ブラック労働でフラフラなのに、自分がやばい状態にいることに気がつけなくなってしまったり…。

「頑張る、あきらめない」が暴走したり、諦めようのブレーキがかからないほうが怖いと思うのだけど。

撤退して、1人になって、また次の居場所探しをして。けっこうな大冒険を選択しているのですが??

諦めないで頑張らない事は褒められるけど、諦めたことを褒めてもらえる機会ってあんまりない。

諦める勇気ってけっこうなものなのだけど。

負けを認めて、次の大冒険にでる。とっても男らしいと思うのだけど。







虫の音でも聞いて。

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朝起きて、毎日行く場所があるのは良い事だ。

だがしかし、久々の学生生活。脳みそがパツパツ。見事に落ちこぼれております。ずっと勉強してみたかった事だから、念願叶ったり、ですが、向いてないなこりゃ。

座学なので脳みそだけが疲れていきます。寄り道したくて、川沿いに1人でいった。

(気持ち良いし、癒されるけど、そろそろ1人は卒業したーい)

音楽を聴くのも気持ち良いけど、イヤホンをはずして、虫の音、草木が風でそよぐ音、頬にあたる風をかんじ、空を見上げたら、頭が空っぽになれてよかった。

スマホいじって、部屋にいると、どうもあれこれ考えてしまう。悪いことばかりではなく、デザインだったり、転職活動に持っていく資料の構成はこうしよう!とか。

ついつい、グルグル考えて、脳みそが休まらない。

頭空っぽにしたい時は、また来よう。

みんなが当たり前にこなしている事が、できない!せっかくなのでこのまま続けますが、笑っちゃうくらい落ちこぼれてる。まあ、就職する前に気がつけてよかったね、という事で。

学校は若干厳しめで1日休むとついていけなくなる感じなのですが、「休んでも良いし、別に辞めたって良いんだからね」と自分に許可を出しながら、通っています。

あくまでリハビリであり、ボーナスみたいなものなのです。(職歴と、ブランク的には絶好の切り札にはなるのだけど)

脳みそが新しい知識でパツパツなお陰で、よけいなことを考えるメモリがない。テレビの中の出来事に怒ったり、過去にあんな事されたとか、あの時どうだったとかこうだったとか。

「女は上書き保存」なんて素敵なハッピー体質。

新しい知識で脳みそがパツパツで、上書きするたび、モヤモヤした事あれこれあった気がするけど、何だったかな…。

プライベートなモヤモヤは仕事やお勉強を頑張ることでそれどころではなくなっていく。やりたい事やってると、良い意味で、鈍く、図太くなる。それどころでは無いのです。

また行こう。脳みそパンクしそうになったら。







脱隠居してみて。

無印良品のパジャマをようやく買った。嬉しい。綿のパジャマがずっと欲しかったので、念願叶ったり。

Tシャツとかトレーナーとかより、綿の方が織りがみつなので体が冷えないとかなんとか。

無印良品のパジャマは何年も前から欲しかったのに、買えなかったものの一つでした。なぜかか「本当に欲しいもの」に近づけない体質で。クリアできて良かった〜。あとは、仕事と引越しかな。これは半年くらいかけて、セットでやろう。最終関門は、家族やパートナー、自分が家庭を持てるか否か…かな。すねないで、一つ一つゆっくりと。

お母さんからの手紙に返事も書こう。前回送ったもの、大したお土産でもないのに大事に眺めてくれてるみたいだから、また何か送ってみよう。何が良いかな。

脱、隠居生活だいたい1週間位でしょうか。

まだ体が慣れなくてぐったりしてますが、おおむね楽しいです。朝、駅に向かうのが清々しい。朝は星野源さんの音楽を聴くようにしたら、日常の世界がなんとなく優しくなる感じがして好きです。

学校は、周りの人が良い人ばかり。色んな人のお世話になることも多くて、消耗した心に「ありがとう」が溜まっていくのを感じます。「ありがとう」がいっぱいになったら、また社会にも還元できるかな〜。

みんなで難しいね〜とか、頑張ろうね〜とか、些細なことを共有しあって笑えるのも楽しい。

お勉強の内容が思いのほか難しくて、冷や汗をかくことも。皆さん優秀で、みんなが出来ることができなくて焦ったりも。プレッシャーをかける方針のようで、学校のやり方や勉強している分野の業界の雰囲気は今の所嫌だと思っているのですが、まあ、それはそれで。その分野が合わないと理解できることも、収穫の一つだから。前職で意地になって7年も時間が過ぎて、体調も崩して、もったいなーい。

「これはやだ、これは好き、私には向いてなかった」を理解しながら転職活動の参考にしていきたいです。

軸は「嫌なものをやめて、好きなことをする」社会に放り出されると、心の中でしっかり軸を持っていないとあっという間に根性論の世界に流されていく。

根性論の世界の人は俺はこんなに大変だったんだぞ!お前なんて…みたいな話が好きだけど、すごいなあ、大変だったんだね。あなたは凄い人なんだね!でも、私は違う世界にいたいんだ。なんて思いながら話を聞いてみたり。

ものと心の整理の第2弾として、「すねない」「意地にならない」「負けを認める」「普通の自分でいること」を意識しようと思って、流行りの音楽も良いなと思ったらダウンロードしてみたり、食べるものや、着るものも周りの意見を取り入れてみたりしようかと。ベースは変わらないけど。

凄く良いお店や、コスパが良い店や物を、調べて調べて…では無くて、通りすがりの何となく惹かれたものに乗っかってみる。

何となく心地良くて、自然な流れに乗ってみる。たまには「特別」なものも良いけど、もっと気楽に。

今日の「好き」や「向いてなかった」「嫌だった」とか、無理に流れに逆らわないで、負けも素直に認めて、明日に渡していくような。

「諦めないこと」は学校、職場、テレビなどから発信される事が多いけど、諦める事を大事だと思う。例えば、意地になって嫌な仕事を続けて体を壊したり、恋愛がこじれたり。諦めることも大切な学び。

学校では煽られる事も多いのですが、そんな感じで過ごしていけたら。落ちこぼれても良い。

今までトドのように過ごしていた事、なれない分野でストレスを感じることもありますが、勉強したかった事を勉強できるのはやっぱり楽しいです。

そして、毎日行くところがあること、一人じゃないって素敵❤️

一旦、隠居終わり。

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久しぶりの学生生活が始まりました。
思いのほかプレッシャーをかけられることも多いのですが、クラスの方がみんな良い人ばっかり!

 世界ってこんなに優しい人ばっかりだったんだ〜と拍子抜け。最近は高畑充希ちゃんの歌声が癒しで、忌野清史郎さんのカバーのデイドリームビリーバーを聞いて涙してみたり。

物の断捨離に続いて、一番やりたかった心の整理もだいぶ終えて、こころのあかや黒い物もだいぶ落ちた感じがします。

隠居したから、物を捨てたから、変わったという訳ではないけれど、1〜2年前よりだいぶ良くなった気がします。

このブログの説明をみると、不幸な私を変えたくて〜みたいなことがかいてありますが、以前はずっとモヤモヤして、不幸だと思ってました。

「どうせ幸せには生きれない!ほら見たことか!」とそんな目で世界を見ていました。

幸せな世界に私がはじかれたのではなく、私が勝手に「一人で頑張る不幸な私」バリアをはってしまっていたみたいで。

「世界は最悪なところ」カメラマンになり、課題の分離ができずに世界中の悪いことを探して回って他者の課題で勝手に怒り…。

また、「自分の幸せ」ではなく、人から見た幸せ(大嫌いな祖父母に言われた)と照らしあわせて私にはあれはないこれはない…と思ったり、幸せなはずなのに何か違うと悶々としたり。

以前は原動力が怒りとか、反抗心、劣等感的等が強かった気がするけど、今は軸が自分に戻ってきた感じで、今後は「修行僧」的な暮らしではなくて、ゆるく楽にやっていきたい。

本を読んだり、児童福祉をやってる方のブログを読んだりしてると、うわー!これ、私だ😱と子供の問題行動の事象にギクリとしたり。

社会やまわりのせいではなく、「私がすねてた子供だった」それだけのことだったんじゃないかと。

お母さんにすねたまま大人になって、それを認められず、すねた気持ちの対象が会社となり、彼氏になったり、していたのかな〜とか。だから、変わるのは、職場や住む場所、自分自身というよりは、私が世界を見る目を変える。

そう考えると、ありがとうとか、ごめんねとかそんな気持ちが溢れてきます。自分にも、周りにも。なんで?どうしてと思っていた人にも愛してくれていたのに、ごめんねという気持ちが溢れてくるから不思議です。

アドラー心理学の本を読んで、「特別に良い」を目指してそうなれなかった人は、いわゆるヤンキーみたいな「特別に悪い」存在になろうとするというのを読んで、あはは〜と吹き出してしまいました。

勝手にあれこれ人と比較して、自分は特別に幸せじゃないと思いこみ、特別なもの…例えば、「いつも片付いているお洒落な部屋」「オーガニック」「極端にものを持たない」「すごくこだわって作られた⚪︎⚪︎」とかが必要だったのかもしれないけど、これからはどっちでも良いや❤️と思っています。

今後目指すのは、特別な幸せや、特別な自由、特別に素敵な生活ではなくて、普通でゆるくて、自分や友達や家族をほどほどに大事にする暮らし。

ディズニーツムツムやって一日が終わってしまったとか、休日は友達と近所のファミレスでお茶して終わり〜、あー楽しかった❤️というような。

今日1日の感想は、眠かった、とか、梨が美味しかったとか、もしくは1日の感想は特にないような。

みんなも、私も、楽で楽しいほうを選べれば、なんでも良いや。その時に、すきなほう。

アドラー心理学の本や心屋さんの本を読んで、自分は幸せじゃないと思ってたのって、私がすねてただけ?と思い、騙されたと思って、前提を変えてみることにしました。

「世界は優しいところ」「そのまんまで良いけど、好きなことして、嫌なことやめても良い」「どうせ幸せになれるから大丈夫」そんな事を前提にしたら、優しい人ばかりが周りに現れるようになりました。カラクリは、私が切り取る瞬間が変わった。とてもシンプルで。

明確な正解がわからないことは、自分が好きなほうを選んでみる。頑張って新しい武器を得る必要も、何かと戦う必要も、変わる必要も無いし、ゆるゆるしておこう。

あいつー!とか、振り向いてもらえなかったという気持も、ずっと夢みさせてくれてありがとうと置き換えると、ポロポロ涙が出てきて胸のつかえがとれたり。

言葉や世界は、角度次第ですね。おもしろ。







赤ちゃんに戻る日を作る。

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おもしろい広告を作る会社、バーグハンバーグバーグのコンテンツが好きです。
 
それで、バーグバーグハンバーグには、会社の「オリジナル祝日」があるらしい。理由は休みたいからだとかなんかそんな感じだった。
 
すっごい良いと思った。
 
私は現在、のこりあとわずかな隠居生活をどう過ごそうかな〜とか思ってます。でも、働いていなくても、やりたく無いけどやらなきゃいけない事ってそれなりにあったりする。
 
・ご飯を作って食器を洗う
・病院へ行く
・手続きをする
 
とか色々。仕事でクレーム対応とか、無茶を言うクライアントや、あんな事やこんな事言ってくる人たちの相手をするのは面倒だったけど、あの頃に比べればとか、あの人に比べたらこんな事位…とか、そんなもの関係なく、面倒くさいもんは面倒くさい。
 
仕事には有給も土日もお給料はあるけど、家事には、お父さん、お母さん、妻、夫、独身女性、などの肩書きは365日ノンストップ。
 
以前は主婦の子がすごく羨ましかったけど、もしも、旦那さんに、いーよなあ、お前は楽でなんて言われたら、カッチーンとくる気持ちがわかる気がする。
 
面倒くさいもんは面倒くさい。働く面倒くささと家事の面倒くささは種類が違う気がする。360日料理が好きでも、残りの5日は死ぬほどやりたくなかったり。
 
皆勤賞なんて無理無理。
 
隠居してるんだから、自炊して節約するべき…とか、時間があるんだから、家事はちゃんとするべき、とか、⚪︎⚪︎なんだから、我慢するべき⚪︎⚪︎なんだから、⚪︎⚪︎って思っちゃダメ、⚪︎⚪︎すべきを辞める日を作ろうっと。
 
肩書きを無くして、赤ちゃんになる日を作ろうっと。毎日が日曜日だけど、自分のオリジナル祝日。
 
何をするかと言うと、何もしない。食べて寝るだけで、良かったねーの赤ちゃんの日。お正月みたいな感じで、アウトソーシング祭りにして何もしない。
 
もし、頼める人がいたら、甘えてしまおう。(いないけども)その代わり、何かしてもらったら感謝しまくる。
 
お金を出してアウトソーシングしたならば、働いた(働いていた)自分を、お金を出してくれた人を、サービスを提供してくれた人に感謝しまくろう。
 
発動日は、⚪︎⚪︎な自分に疲れたら自動発動で。
 
というわけで、残り数日の隠居生活はオリジナル祝日の赤ちゃんの日で良いや。
 
 
 
 

里に降りる準備と、お買い物色々。

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レデッカーのタワシを買いました!

[REDECKER/レデッカー]柄付きキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]柄付きキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]木のキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]木のキッチンブラシ


わー、嬉しい!これでフライパンを洗うたびにしばらくニマニマできるかと思うと嬉し〜。

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北海道物産展でハッカ油と、北海道に行った時から気になってた鮭節300円、カニせんべい170円を買ってワクワク。

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 20ml

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 20ml


牛タン定食を食べ、岩盤浴に行き、整骨院も行ったし、本も色々かって、プチ散財しました。

隠居前は、とにかく生活を小さく小さく、冬眠前の支度みたいなイメージでしたが、今は里に降りる準備をしてるイメージ。

お金も開放していきます。

肉を食べてエネルギーを集め、色々かって身なりを整え(ぱっと見で自分らしさがわかる方がよい)、「好きと嫌い」を「ほうそうか」と知っていく事をやって。

週5日、毎日、朝起きて外出という生活が久々に始まる。早起きと満員電車が心配だけど、まあ、10年近くやってきた事だから大丈夫でしょう。

どうせ、大丈夫!

どうしても嫌だったら、辞めたいことリストの上の方に「毎朝起きて、満員電車で通勤すること」を入れて、転職活動する時の参考にしようっと。

「好きなこと」だけして生きていく。

「好きなこと」だけして生きていく。

好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

心屋さんの本を色々とよんでは泣き、私の爆弾、お母さんからきた手紙を読んでは泣き、断捨離&隠居生活で一番やりたかった心の奥底にあるモヤモヤの整理が進んできてます。

辛くても悔しくても嬉しくても、我慢癖がついているから泣きたくても滅多に泣けませんでした。

でも、ぢんさん(みなさんこう呼んでるらしい)の本を読むと、1冊で2〜3回位は涙が勝手に出てくるから休み休み読んでいます。

あの辛かった事、許せなかったことも、面白い出来事だったんだな〜と思う。アドラー心理学の本も面白いけど、心ポッキリの時のアドラー本はちょっとしんどい。

アドラーの本は職場のおじさんがくれたのですが「考え方が嫌だ、助けて欲しいから買ったのに。」みたいな事を言ってたかな…。

ホリエモンのことはなんかすき。あの突き抜けてる感じが。一時期の沢尻エリカちゃんとかも大好きだった。

羨ましいです。堂々と、自分らしくいられる事が羨ましい。

ホリエモンの本はタイトルに惹かれて買ってみたけど、自分の一万円オンラインサロンに来てみろ!(確かに面白そう。内容に対して一万円は安いかなと思う)副業はダサい!なんで行動しないんだ!

みたいな感じで、本の中からホリエモンにチクチクチクチクやられている感じもあって、休み休み読んでいます。

でも、ダサくても、私は副業派かな。だって、会社で働く事と、副業で好きな事をするバランスが楽しいんだから、私にはそれが幸せ。楽しい事。

好きな事だけして生きていくっていっても、好きの方向性って各々違うんだなって。私の好きなことの方向性とこの本の指す好きなことは違うから、こんな世界もあるのか〜と思いながら読んでます。

好きで生きていきたいなら、行動しろ!なんでしないんだ!メッセージが多くて疲れるけど、まあ、確かにそうだよね…。正論だと思います。すみません先生みたいな。

そういえば、起業した知り合いとかと話すと、ホリエモンと同じような事言ってたりする。「なんでやらないの?」って。

その問いかけに、「何でだろう?」って自分に問いかけながらもよく分からなくて、「なんか怖い、あなたはみんなが越えられないハードルを越えられた特別な人なんだよ」なんて事を伝えつつも、「だってやりたくないんだよな〜。何となく」と心の中で思う。

ときめかないから、しょうが無い。

文句は言いますが(文句を言ってるのが好きなのかもしれませんが)起業したら、そっちのほうが縛られる気がするんだよな〜。会社員でムカついたら辞めたり、副業で好きな事したり、ふわふわしてるほうが好きなんだよな〜。

それにしても、ホリエモンは凄いな〜。あと、起業した彼らは凄い。私には彼のようには出来ない。そして、別に経営者になりたいとは思わない(勇気がないを含めて)から、凄いなっって思いながら本を読んでます。

みんなが越えられないハードルを超えられる人ってホントすごいわー!でも、みんながみんな経営者になると、従業員が居なくなっちゃうから、好きな方を選べば良いかな〜と思う。

ホリエモンも、雇用形態にこだわるな!と言っていたし。

とりあえず、嫌なこと辞めて、好きなことをしようっと。結局はトキメクかときめかないかのコンマリ流が良いのか?

ホリエモンは家持たず、ホテル暮らしでスーツケース1つで日本と海外を点々とするリアルミニマリストらしかった。