人生のどこかでめちゃくちゃに愛された人間は強い
幸せどころか、振り落とされずに最後まで生きるのってめっちゃ難しいじゃんかって、40歳になった私は思ってる。
自立して健康に生きてるだけですごいって、生きてるだけで自己肯定感が上がってる。歳を重ねるのは悪くない
29歳の私も、33歳の私も、38歳の私も若かったし、悩まないでやりたい事をやって生きてと今は思う。大切な時間を棒に振った代償はあるけど、貯金とNISA、婚活を頑張ったのは良かった気がする。
毒親育ちの弊害は大きく、職場に電凸してくるタイプの毒親なので、就職や引っ越しでは身元保証人の問題がチラついてチャレンジできなかったり、家庭への拒絶反応や自分は幸せにはならないんだという罪悪感のようなものがあって、結婚の話を2回潰しております。
婚活をしてみたものの、毒親がハンデになったり、気が合う人がいなかったりとか色々あって、もう一人で生きようと思ってた。でも、人生何があるかわからない。まさかの結婚の話が再燃してきた。どうするかは分からないけど、毒親と絶縁していることも彼は受け入れてれた。毒親のもとに生まれたからって幸せになれないわけがない。そういう風に洗脳をされているんだと思うよと言ってもらえた。会社の同僚と恋愛関係になる場合も受け入れてくれるパターンが多かったです。セルフネグレクトしてたのかも。ダメな自分にはこんな人生が合うのだろうって。そんな思考を植え付けたの毒親だったんだ。
若い時は理解されないことが多かったけど、年齢を重ねてからは意外と受け入れてもられる事が多くなった気がします。
毒親問題は結構根が深くて、愛着障害になってしまうとかなり厄介で、健康的に社会で生きていけるか、3歳までの環境で決まってしまうみたいです。運でしかない。
自分の家庭での話をすると、もっとひどい精神状態になっていてもおかしくなかったよ、どうやって立ち直ったのかと聞かれて不思議だったけど、思い出した。
ひいおばあちゃんと、養子に出されようとした親戚のおばちゃん、近所の小学生や、近所のおじいちゃんおばあちゃん、近所のおばちゃんに死ぬほど可愛がられていた事を思い出した。
母親に愛された人の包まれたような強さは無いけど、自分のルーツを思い出せて良かった。外の世界は楽しい事があるって感覚が昔からあって、会社や学校みたいな組織との付き合いは苦手だけど、外部の人とのコミュニケーションを恐れない自分になれたのは良かったかもしれない。電話も、クライアントワークも別に怖くない。
そんな私が怖いのは結婚をする事だった。結婚して子供を持つのは不幸な事だって刷り込みがあったから。認知の歪みってこういう事か。