子供の頃絵本で見たヒロイン達は、今は貧しく不幸でも、コツコツと日々の暮らしを続けていれば、すごい人が素質を見いだして引っ張り上げてくれたり、王子様が現れて不自由のない生活を与えてくれるという話が多かったように思う。
辛くても、耐えてコツコツと現状維持をしてい、れば必ず明るい未来が待っている。
誰かがどうにかしてくれるのを待っている。
大人になってもそんな考え方をしていたように思う。今辛い思いをしていることは、必ず報われると。
ところが、現実はそうではない。
自分でどんどん切り開いて、切り捨てて、
戦略を練って。
努力をしても不幸な方へ引き寄せられると労働力を都合よく搾取されたり。
賢くいきるか、幸せの嗅覚を持っていないといつまで経っても不幸なままだと30歳を過ぎて強く感じた。
最近、しばらく粗食で過ごしたら、デトックスが進んできた。
体のデトックスが進むにつれて、心のデトックスも意識してみることに。そうすると、抑え込んでいた自分の体の声や心の声もちゃんと聞こえるようになってきた。
ここ数年、仕事ではおひとよしと
表現される事が多かった。
難しい物事は根気よく教えたり、
辛そうにしている人がいたら声をかけて、
誰かがどうしてもできない案件はまきとってみたり。
面倒見が良いと言われることも。
そうしていると、当たり前のようにあなたがどうにかしてくれるでしょ?といった態度に出る人間が出てくる。
そして当たり前になると、もっと気持ちよく過ごさせろといった態度に変わり、当たり前のように押し付けてくるように。
当たり障りなく努力を促したり、
憤りを感じながらもまきとったり。
誰を責めるでもなく、今後の体制を懸念してチームが持続するよう考えて上司と話したりもしてみた。
本音では、なんなの?自分でやってよ。
どうしてこんなこともできないくせに
図々しく甘えてくるの?
なぜ努力しないの?
なんでこの人と同じお給料で仕事しないといけないの?
という憤りを心にしまって、
お人好しで通してしまっていた。
声を押し殺して、穏便にふるまった。
どうしょうもない人間と感じる人にすら
冷たい!とか悪く思われるのがいやだったんだと思う。世界の誰からも嫌われたくない。
そんな気持ちだった。
今思うと自己満足の我慢というか、自分も辛くして、周りもダメにしてしまうパターン。
周りを甘やかす事でダメにしてしまっていたのかもしれない。
最近始めたのは、自分を大切にしようキャンペーン。痛すぎてとても現実世界では口にできない。
1番大事なのは自分。
仕事よりも何よりも大事なのは自分。
大きく環境をかえる前に絶対に必要な作業のように感じたから、何だか気恥ずかしと思いながらもやってみる。
自分の存在をまずは自分が大事にしようという試み。部屋、体、食べ物、できるところから手をつけてみる。
思えば、何の意味もないバッジ集めをするような生き方だったのかも知れない。
結婚、好きなことを仕事にする、子供を産む、正社員を目指す…。
それらの要素が心から必要だとおもっていなければ、それこそ、結婚、子供がいる、正社員、などと書いて胸につけているだけで、バッジが幸せにしてくれるわけでもない。
そんなバッジは時に私の胸にかがやいたり、無くなったり。30歳を超えた今、私には何のバッジも付いていなくて、笑ってしまった。
何だか肩の荷がおりて、私には何にもないなあ〜。じゃあ自由に生きようかなという気持ちが湧いてきた。
でも、散々、自分の声を押し殺してみたから、どういう状態であれば自分が幸せなのか分からない。
今はどこに向かって歩けば良いのか途方に暮れている感じだけど、あれやこれやと試してみる。
最近、面白い事があった。
いつも私に当たり前のように自分では分からないものを押し付けてくるおばちゃんがいて、当然のようによってきた。
そうしたら、体から
「嫌だ嫌だ嫌だ。どうして私がやらないといけないの?絶対に嫌だ。おかしい」という大きな声が聞こえてきた。
泣き叫んで、大暴れしそうな感じの。
今まではこういった事を自分が感じていることすら認められなくて、自分の声を自分で掻き消していた。
自分の声を素直に聞いたらものすごくすっきりした。そして、その案件はすっとどこかに消えて、対応しなくても良いことになった。
ぶら下がってくる人間の面倒は、
みないのが当然だと思うことにした。
誰に言ったでも断ったでもなく、
自分の中で決めただけですーっと
遠ざかっていった。
自分を大事にしなければ、自分を大事にしない世界へ導いてしまう。自分を大事に思えば、自分を大事にする世界へ導いていく、
そんな事に今更ながら気がついた。
とてもおもしろい実験をおこなっているような気持ち。
自分を大事に、幸せにしてあげようキャンペーンはどんどんやっていこう。