気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

実験のその後。

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いつだか食べた、タイ料理。

昨日もよく食べ、よく笑い、よく学び、よく作業し、良い1日でした。

言えなかった自分の過去を喋ってみよう、の結果ですが、清水の舞台から飛び降りる位の勇気を出して言ってみましたが、案の定、へ〜とか、大変だったねで、特に何も変わりませんでした。

一瞬気まずそうな顔をしてたかな?って気もしますが、まあ、特には。色々と紹介してもらうことになってたのですが、それも引き続き進むことに。

こんなもんだよね。

世界は優しいところだから、本当の自分で生きて大丈夫のようだ。

苦手な人やなんとなく馬が合わない人はもちろんいるけど、私の周りにはもう「激やばな人」はいないみたい。もし、出会ったとしても、私が私を守るから、べったり近寄ってきたり、私をむしばむ事はしばらくはなさそう。

キラキラバリア的なものが、弱々しくだけど発動し始めて、ポジティブな人や楽しい出来事が舞い込む良いループが繋がり始めているような気がする。

会社を辞めたから変われた、物を捨てたから幸せになったという事ではないけども、色々やったことで、私が切り取る世界を変えることができたから、最悪の状態からは抜けることができた…とう感じでしょうか。

人から指摘されたことも色々踏まえて、前も、客観的に見て、すごい不幸だったというわけでもなく、ドツボにはまってモヤモヤしてたというか。

前は自分のネガティヴさがマックスだったからか、周りの人も卑屈だったり、病んでたり、辛すぎて考え方が宗教チックになっていたり、自己犠牲こそ正義!みたいな感じだったから、私に言ってくることもやばかった。

でも、もうそれはない。私が変わったから。

キラキラバリアを放つのは、誰でもなく、その人自身。自分を幸せにするためのYes、Noを心にちゃんと持って、不幸の足音がしたら蜘蛛の子散らし、楽しいことにはどんどん飛び込んで、一人で解決できないことは「まともな感覚の人」に相談をする。

このあたり、ドツボにはまっていた時は全然出来てなかった。

私につられてか、他の人も色々カミングアウトしてくれたけど、へー、そんなの!?みたいな感想で、こっちも特に何が変わるわけでもなく。むしろ、話してくれて、親近感が湧いた。

それなら、さらっと言って、本当の自分で生きて生きたい。

今日は、私と同じような過去を持つ人がさらっと明るく自分の話をしてくれて、私もこの人みたいに堂々と話せるようになりたいと思った。

この後の展開としては、たんたんと、ぬくぬくとしたあったい場所で過ごすイメージで生きていけたら。転職活動は最後の一踏ん張りで頑張るけど、大きな方向転換とか、無理に出会いを求めたりとかそういう事はしないで。

今日はお昼寝をして、洗濯をして、お茶でも飲みながら友達に手紙を書こう。

今みたいにたんたんと、ぬくぬくと、笑って生きていけたらそれで良い。

世界はどこまで、自分に優しくなったのか。

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毎日笑って、週末は友達と友達の子供と遊んで、学びたかった事を学んで…。
 
今が人生でピークに楽しい。
 
一人旅をしている時よりも、昔の彼との関係が進んでゴール目前だった時よりも、憧れの職業についたいた時も。
 
何にもない今の方が優しくしてもらって、愛されているなんて。
 
ここまで何も持ってないと、なんで優しくしてくれるのか、かまってくれるのかというと、「私だから」「あなただから」という世界に入ってきます。
 
本当に自分に自信を持てずに生きてきました。
 
そうして私は自己肯定する為に、いろんなレッテルをはってどうにか自分を保ってました。
 
辛い仕事をしているから、私は存在してる価値があるかもしれないとか、彼氏がいるから大丈夫、とか、お洒落してるから、自然食をして彼の体を気遣ってあげられる、強くて正義感がある私、なんでも頑張る私、他人の為に泥を被れる私…とか、そりゃあもう、自分を補強するためにベタベタと張りぼての自分をつくって、人が嫌がることを引き受けて、ついにはガッシャーン。
 
で、今、すべて手放しても、いろんな人に囲まれているのは「私だから」と。なんともびっくり。
 
それで、過去に自分的にトップシークレットだった事を最近知り合った人に話してみようと思います。
 
それで、引いてしまう人も過去にはいたから、どうなることやら。
 
話して、そのままの自分をされけ出して、転職活動もそのままでやって、どこまで世界は私に優しいところになったのか、試してみたいと思うようになりました。
 
せっかく手に入れた友達はどう反応するのだろうか。
 
だいたい予想はついている。
 
「ふーん、そうなんだ。」
「ふーん、大変だったね。」
 
こないだ、長年付き合いのある友達にやっと話した時も、こんな反応で、むしろ、その、経験⚪︎⚪︎さんに聞かせてあげて!みたいに重宝がられたり。
 
自分的トラウマなんてこんなもんだと思う。
 
で、それを転職市場にのせて、新しくあったばかりの人たちに話したらどうなるでしょうか。
 
世界はどこまで優しくなるのか、もしくはあっさり拒絶をされてしまって絶望したりするのか。
 
さて、さて、どうなるか…。
 
 

会社を辞めて本当に良かったと思います。

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三連休は、前職の先輩と飲んで、ツムツムのハートの回復をひたすら待ってはゲームをし、ダラダラして終わってしまった。

引きこもりは、月曜日が来るからこそ楽しいのだとしったのは、隠居のお陰か。

毎日が楽しすぎて、なんで前職を辞めたのか、どうなりたかったのかをすっかり忘れてしまって、求人を見てもピンとこなくなってしまった位。

私は今年の春に仕事を辞めて、日本と海外を旅して、友達と再会して、恋人と別れて、学校へ行って…。

色々あったけど、いまは毎日お腹を抱えて大笑いして、学びたかった事を学んで、もっと勉強してみたい分野が出てきたり、未来にワクワクしたり、どう生きるのが一番楽しいのか頭を悩ませたり。

怒りと体調不良のステージからは抜けることができた。


世界は嫌なところだと思わなくなった。

これが会社を辞めた大きなメリットだったと思います。

これから行う転職活動をしてみて、惨敗するかもしれないけど、それでもこの選択で良かったと今は思う。

沢山のワクワクする選択肢があって、私もワクワクするほうを選んで良いんだと思えるようになったから。今思うと、かなりの見切り発車でしたが、会社を辞めてつくづく良かったと思います。

久しぶりにあった先輩から出てくるのはグチ、愚痴、怒り。久しぶりにここまで怒ってる人を(自分以外で)みたから、新鮮でした。

前職の職場は大荒れに荒れているようです。

人を大事にしない職場から人がいなくなるのは当たり前。どんなに頑張っても、無駄な場所はある。

自分を粗末に扱う人は、態度を改めることは無いのだなあ…と、怒り狂う先輩の話を聞きながら、別れた恋人のことも思い出して改めて思いました。

悪い職場を無くすには、その職場から誰もいなくなってしまえば良い。正義感出さなくても、口コミサイトに事実を淡々と投稿でもすれば、十分、後から来る人のためにもなります。

どんな場所でも頑張れ、逃げ出すな なんて綺麗事。頑張っても無駄な場所はある。人を粗末に扱う会社や人間は変わらないのです。撤退は勇気であり、戦略の一つです。

でも、ひどい職場の人たちがよく口にしていた「どこに行ってもどうせ同じ」これは、絶対に違うと否定をしたいです。

もし良い場所があったとしても、自分には無理、もしくは足を引っ張ってくる人が、あなたが良い環境に行けるわけなんかない等といったとしても否定したい。

世界は広いし、いろんな生きたかをしてる人がいる。不幸村の住人の、狭くてネガティヴな見解なんてなんの参考にもならなかったのに。

もっと良い環境はきっとあるし、良い環境に行ける。でも、一番怖いのは変な会社の同僚でも、上司でもなく自分がどうせ無理と思ってしまう事。

どうせ自分には無理と思った途端に、明るい未来は全部手の届かないところに行ってしまう。

自分に呪いをかけて、自分が幸せをブロックしてはどうにもならない。周囲の良いアドバイスも、自分が選んだ道を否定された。頑張ってる自分を否定された。に変化されてしまったり。

私はどんどん変わって良い。ワクワクする道を選んで、勉強して、楽しく生きても良い。

残った職場の人達は、幸せな転職が出来ると良いなあと思います。本当に会社が私を、あなた達を必要とするならば、正社員化して、それなりの待遇を払うはずです。

ですが、残念ながら在職中に、役職が高い方と話す機会がありましたが、仕事はお金じゃない、うちは人を大事にしてる、正社員より非正規の方が仕事をする、正社員はコストもかかるしダメだとか言い始めたので、こりゃあ駄目だなと。

せっかくなので色々言い返しておきましたが、きっと耳には届かないでしょう。でも、言いたいことは言えたから良かった。

そして、退職者が続いて、確かに前の「職場」の状況は良くないけど、会社自体はびくともしてない。私が頑張らないとなんて思っても、会社自体はびくともしない。そんなものです。

頑張っても無駄な環境はあるし、大事にされずにそんなに必要とされてもないなら、離婚してお互い幸せに生きましょうよという感じ。

正義のヒーローになって戦う必要はなく、「巣立ちのサイン」と受け取る。次のステージに行きなさいのサイン。

それにしても、旅した後に学校作戦は、大正解だったと思う。

ワクワクを広げるという意味では、こんな良い選択ほかにあっただろうかと思う。




たまにはキーッとなる事もある。

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最近、時々キッーッとなっているのを感じます。

あの人やこの人に対して。そして、過去のことを掘り出して、昔あんな事された、こんな事されたと無性に腹がたって。

特に何をするわけでもなく、ただ、一人で怒っる。

で、今日はいろんな人と過ごす中で、それはないだろうという気持ちが特定の人に湧いてきてしまった。外に出さないように、相槌を打ってやり過ごして、乗り切った。でも、察しの良い方には気付かれてしまったみたいで、優しいあの人に、多分、ちょっと気を遣わせてしまったようなきがする。

(ごめんなさい)

家に帰って、前の職場の人と飲みに行く約束をして、近況をLINEで報告していくうちに、気持ちが落ちついて来ました。

気持ちを棚卸ししてみると…。

あの人のせいではなく、PMSと寝不足のせいではないか…?という結論に。

相手が悪いわけではなく、ケアをすべきは自分自身…となると、カードはこちらにあるので手の打ちようがありまくる。

こんな時は、嫌なこと辞めて好きなことする。さ、今から思う存分ダラダラするぞ〜。漢方薬も飲んでみよう。病院に行って医療に頼ったり、アロマやお風呂など色々試してみるのも良いかもしれません。

明日はオシャレしよう。お化粧もバッチリしよう。

明日は楽しい日になるでしょうか。苦手なあの人との関係は今後どうなるでしょうか。

実験実験。




物と気持ちの棚卸し。

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いつだか食べた、イチジクが美味しかった。
 
暮らしを圧縮していたのと、貧乏性で130円以上の野菜や果物はちょっと高い…と思ってしまう。
 
特売の安いものの中で、そこそこ食べたいものを買うという買い方を少しずつ辞めていきたい。今、食べたいから買うに。
 
でもまだ余裕もないから、買い物の中で1点は「食べたいから」という理由だけで買うことをokにしてみた。
 
心から食べたいフルーツを買うと、スナック菓子をあまり欲しがらなくなった。長い間スナック菓子が止められなかったのですが、本当は食べたかったハーゲンダッツやら、桃やらを「我慢した」はけ口になり、「お菓子太り」という弊害になり。
 
コスパで選んだお菓子は、なぜか食べても食べても満たされず、たくさん食べてしまう。
 
なんで止められないんだろう思ってたけど、「満たされないから」「本当に食べだ買ったものを食べてないから」だったからなのかも。
 
おもしろい。
 
本当に欲しいものを手にする勇気を出さず、努力もせず、ハードルの低い手頃なもので代用して、満たされなくて、ブクブク太って文句言ってる。
 
ずーっとそんな感じだったんだろうな、私。バンジージャンプを飛べなかった弊害。
 
なんてめんどくさいやつなんだ。世界は嫌なところでも、嫌な奴ばかりのところでもなく、私が勇気のない、めんどくさいやつだった。
 
 
そりゃそうだ、だって、自分が選びたいものを選んでないんだから。周りの人にも失礼極まりない。
 
習慣で選べない?節約する我慢する良い子の自分の陰に隠れてる?誰かのせいにして、正義のヒーロー暴走させて勇気の出せない自分を守ってる?本当は、単に勇気がないから?それとも、本当は興味もないし、好きじゃないから?
 
「本当に選びたいもの」選べてる?壁に標語として貼っておきたい位です。
 
本当に選びたい道を選んで、好きなことして、嫌なこと辞めてたら、自分の人生に夢中で、他の人に気を取られている場合ではない。
 
新しい環境は楽しいです。ですが、自炊が減ったり、知らぬ間にものが溜まったりしていたので、あれやこれやと棚卸し。
 
余裕がなく、不安だとものを溜め込んじゃう癖、勃発。スーパーのビニル袋が妙に多かったり、ぼーっとしてたら断る隙がなかったポイントカードを捨てて、定期の発行失敗しりなんやらで交通系ICカードが3枚になってしまっていたり。試験の時は付箋を3セットもかった。
 
捨てて解決するものは捨てて、少しスッキリ。ICカードを返却するぞ!デポジットが帰ってきたらランチ1食分になる。
 
風邪ひいたりなんやらで、薬関係もごちゃごちゃになっていたので、小袋にまとめたり、いらない書類を捨てたり。
 
スッキリ!
 
特にいらないのに買おうとしてたり。ものの棚卸しは時々必要。そして、やった後のスッキリ感ときたら。
 
新しい環境で、自分の思考グセを定期的に棚卸ししていきたい。基本は幸せでも、やっぱり色々波があったりします。
 
 
全く同じ環境でも、何も思わない人もいるのです。私の中の反応の種はなんだろう。よし、気持ちの棚卸しをしよう。
 
今は実験の場です。失敗しても大丈夫。
 
で、本なども今一度読み直して思ったこと。なんだか胸がざわざわするあの人は、少し前の私そっくりだ。
 
あと、単にPMSなのでは?ということ。これ、結構大きい気もする。気が沈む、イライラする、めまいがする。
 
あと、単純に疲れてるからとか?
 
もしも、合わない人が出てきたら、井戸端会議のおばちゃんのごとく、蜘蛛の子散らすが最強な気もしますが、誰に、何で、イラっと、ぐさっときたのかはちゃんと向き合うと結構面白い事らしく、面白観察日記のごとく、気持ちの棚卸しをしてみたい。
 
「誰が悪い」ではなくて、「なんで反応しちゃったの?私」がポイントのようです。
 
自分を休ませてあげような?何かご褒美に食べに行く?単に体調不良?家事をアウトソーシングして楽にしてあげる?それともなにか、好きなことする?
 
VS胸がざわざわ、モヤモヤするあの人ではなくて、どうしちゃったの私?な方向で。
 
大丈夫。どうしてもダメなら蜘蛛の子散らす作戦があるから。実験、実験。
 
 

電子レンジを買おうとしている。

オーブン機能のついた電子レンジを買おうとしています。


健康、時短、生活を楽にする、節約などを考えると、どう考えてもあったほうが良いという結論に達して、買うことにした。


わたし的には、ちょっとしたバンジージャンプかつ、革命的な出来事。これまで4年間、電子レンジなしで過ごしました。


なくても行けますが、ピザ焼きたい、ケーキ焼きたい、そして、朝、レンジでチンして朝から手軽に温かいものを口にしたい!たまには冷食のチャーハンとか、冷食のパスタとか食べて家でゴロゴロ過ごしたい!素敵な食事はたまにできれば良いではないか!貴族でもオシャレインスタグラマーでも、芸能人でもないんだし!


気楽が一番!ルームシェアなどを挟んで家電は色々処分してことや、オーガニックとか、物を持たない暮らしという大義名分もありましたが、何よりも家電を買うこと自体が苦手なのです。


もはや苦痛の領域。


壁が厚い。家電好きの彼氏でもいればよかったのですが、こちとら独り身。仕方ないので奥歯を噛み締めながら、比較サイトとか、コメントとか読んで探しています。ああ、苦痛😱😱😱興味のない分野だけど仕事で必要になったから無理やり勉強している時のことを思い出す…。


レビューは参考になりますが、時々紛れている、ショップや配送業者への恨み節などの、負のオーラ放ってるやつとかも紛れていたり。家電量販店のごちゃごちゃして、音がうるさい空間に入ると、具合が悪くなるし、ネットで調べるにしても、値段とか口コミとか機能とか見るのが面倒臭い。


とにかく、苦手なのです。

家電好きな旦那さんでもいたら、全部丸投げして選んでもらいたい。現実逃避から妄想まで始まってしまいます。


いつだったか、アメトークで家電好き芸人の回で宮迫さんが、ぜんぜん家電のこと分からないから「いっちゃんええヤツちょうだい」と店員さんに言っていた、気持ちがわかる気がします。「いっちゃんええヤツ」を買うお金は私には無いので、3万円までて、一人暮らしの小さな台所に置けて、そこそこ良いやつ。


パンやピザも焼けて火力強目のものが欲しいのですが、見ていても正直ぜんぜん分かりません。


なんとなく、以下の二つが良さそうなのですが、日立やシャープの1万5千円位のオーブンレンジでも良さそうな気もするし、どうしたものか。


とりあえず、目的はオーブンレンジを買うことなので、いっちゃんええヤツでも、もっともコスパが良いものでもなく、損しても良いから、ちゃんと、オーブンレンジを買うという目的を達成できますように!

パナソニック オーブンレンジ エレック 26L ブラック NE-MS263-K

 

むじゃきに、ポチポチ。

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学校では、断トツで落ちこぼれていますが、毎日笑って、みんなに助けてもらって、どうにか生き延びています。

幸せで不満もない毎日。お金は無いけど。
ずっとみんなでいたい。学校から帰った後のお昼寝が幸せすぎる。

けど、どんどん無くなっていくお金。転職に向けて、少しずつ準備をしていっています。

今のところ、自宅を警備していたころや、海外を少し放浪していた頃より、今のほうが楽しい。

会社や学校で人に囲まれている方が私は楽しい。フリーや起業より、働きやすい会社での就業を目指すことにしました。それと、働きやすい会社を踏み越えてでも、どうにもときめいてしまった仕事とか。

(ある程度したらまた考えてみよう)

まずは、働きやすさ第一に。

今は、準備段階。授業を通して、知識を身につけたり、向いてない、苦痛な作業を発見したり。

実際に勉強してみると、思っていた以上にできなかったり、完全白旗だったり。専門的な分野の入り口みたいな事を幾つかやっているのですが、どうやったって理解も興味も持てず、結果もボコボコな分野が出てきました。今までなら、努力しなきゃ、できない自分を責めたり、克服しなきゃに傾いていたけど、今回は、できない上に苦痛、「じゃあ辞めよう!早くわかって良かったね」にしています。

卒業できる程度にはやるけど、これを繰り返します。嫌なことやめて、好きな事をする作戦で、やってて楽しい事、苦にならない事を理解していく。

今のところ、最高に楽しい!早く勉強したくて仕方がない分野もあって、見切り発車で応募しなくて、学校にきて良かったと心から思っています。

その上で、今までならどうせ無理と諦めていた企業に、むじゃきにポチポチ応募ボタンを押していきたい。

今は、どうせ無理だと思わないで、むじゃきに無理目な企業の求人を開いたり、ホームページから求人を見たり。

あんまりあれこれ気にせず、好きな女の子にむじゃきに話しかけに行く、幼稚園児の男の子みたいな気持ちで。

悪い経歴もそのままのせてしまえ。応募書類については、いろいろ見解があるみたいだけど、後でビクビクするより、良い。

卑屈になるのを辞めることにしました。

「色々経験して、頑張ってきました」「あなたのことが好きです」というスタンスに変えてみよう。

昨年作った書類をみると、私は色々やってきたけど、正社員にもなれずにダメなで自信もないけど、頑張りますのでどうにか入れてください…みたいな雰囲気を醸し出していて、いろんな人に怒られました。

怒られた…と心折れたりしたけども「自分の職歴にもっと自信を持ってアピールしなさい」っていうことが彼らは良いたかったのだろうな…。

なので、こんなに色々経験してみましたってていで書いてみます。色々調べていますが、最近は転職活動は好調、人が足りないという話が出てくることが多いです。

実際昨年も、いがいと選考が進んでいくのに驚きました。

ポジティブな、都合の良い情報だけを信じてむじゃきにポチポチ、きっと無理、でも憧れ…な会社に応募してみよう。

大丈夫、ダメでも、10年後には応募したことすら忘れているから。でも、応募しなかったら10年後もうだうだ言ってそう。

ワンクリックで、夢が見れるなら、宝くじを買うよりよっぽどワクワクするよなあとか思う。しかも、何度ポチポチしても、0円。

面接も、ちゃんとした企業だと、あれ聞いちゃダメみたいな規定があるらしく、嫌な思いをした記憶があまりない。

嫌だったら帰れば良いけど、今なら、楽しめるかもしれない。ヤバイやつだ!すげえ!みたいな。そうなったら自分のことはあまり話さないで、相手の話をせっかくだから聞きたい。

(入社はしませんが)

転職活動は、大人の社会科見学でもあり、宝くじを買うようなワクワクするものってきもちでやってみます。

私がひねくれるのをやめて、世界は、本当は優しい場所だったんじゃないか、ひねくれるのをやめて心を開いたら、どこまで優しい場所になったんだろうという実験をやってみようかと思っています。

頑張るほうに、流されがち。

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集団の中にいると、いろんなことが起きます。
 
で、そんな中で、つい、頑張るほうに流されてしまう自分に気がつきました。
 
体がNGの信号を出しても、頑張るのをやめたいのに辞められなかったり。何でなんだろうと思っていたけど、しんどいもう無理と天秤にかけた時に、頑張るほうが楽だと判断していることに気がついた。
 
現状維持だから、環境を変える後始末も不要なあげく、頑張るって「最強の免罪符」だったからなのかもと。
 
頑張ったけど、成果が出ませんでした。
頑張った。けど…。
 
成果が出なくても、頑張ってるんだから、まあまあ、責めないでやってあげなよ。頑張った自分を褒めてあげたい。
 
頑張れば、負けたとしても責められない。不思議な魔法です。
 
逆境に耐えて「頑張る私」は自分を守ってくれる鎧みたいなものだったのかも。幸せというゴールがやってきたら物語が終わってしまうから怖くて手を出せない。
 
頑張る私物語には、役者(嫌な奴)や小道具や設定(嫌な仕事、嫌な会社)が必要だったから、嫌だと思いながらも、あれもこれもあの人も手放せず、変わりたいのに変われないの蟻地獄状態だったようです。
 
世界が嫌な場所だったんじゃなくて、私がすねて面倒臭いやつだった。私が世界は嫌なところの証拠集めをし、どこに行っても同じだとあきらめてしまった。
 
(自分的には)辛くて嫌な仕事、(自分的には)納得できない待遇、(自分的には)大事にしてくれないパートナー。(自分的には)むかつくいやあいつ。丁寧な家事(を頑張る私)自然食(を作って頑張る私)
 
ナチュラルなライフスタイルは好きなら良いのだけど、知らぬ間に社会への後半の道具にすり替わっていたり。目的は何か?
 
「自分的には」の部分は自分にとってはそうでも、他の人にはそうじゃなかったり。解放してあげよう。ほんと。
 
そんな役を引き受けてくれたくれた人や物事もたち。ごめんね、こんな役割を押し付けてしまって。
 
次は、「たまには頑張る、そこそこ幸せな私物語」劇団あたりをやりたい。人から見ればなんてことないけど、当人達はキャッキャッと楽しそう。仕事も自分に合っていれば良い。家事が面倒くさくなったら冷食のキムチチャーハンなどを食べ、クーラー最高とか思いながら、ソファでゴロゴロ漫画や本を読み、パートナーには適度に甘え、感謝。1日の感想は眠かったとか、あのカップラーメンまずかったとか、セブンのスイーツ美味しかったとかそんなもんで良い。でも、今日みたいな日が、明日も明後日も続くと良いな〜みたいな。
 
これまでは、幸せも、反抗の道具や鎧にしようとしていたような。そりゃあ、幸せになれるわけないわな。
 
頑張る私物語をこじらせると、天然で愛される人とか、自分を保って生きている人や、環境が恵まれている羨ましい人を、頑張っていないずるい人にすり替えて悪者にだってできます。
 
すごい、羨ましい、コツを教えてもらって私もああなりたい、仲良くしたいで良いのに。
 
そもそも、「負けを認める」と言うことは、たんなるラッキーな気づきなのでは…。
 
私はこれができないのか!じゃあ得意なところを伸ばそう、という。
 
とりあえず、学校の勉強は淡々とやり、家では文明に甘えて、楽に楽しく!

 

一回ミスしたら、首!

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不幸な自分から抜け出したい!と思って、物を捨てたり、仕事を辞めてみたり、ゲストハウス行ったり、海外一人旅してみたり、移住を目論んでみたり。

自分を、環境を変えなくては、あれを手放せば、これを手に入れれば…。足りないもの探し、要らないもの探しに夢中でした。

でも、本を読み、友達に会いに行き、世界をみる、「自分の視点の問題」という事に合点がいきました。

これからは目の前のワクワクには従うけど、極端に変わろうとしないで淡々と普通に生きていきたい。

今は、「足りている、やりたい事やっている、社会から愛をもらっている」こんな風に思えるようになりました。気がつけば、できの悪い私を見捨てずにフォローしてくれる優しい人達、お茶したり、ピクニックに誘ってくれる友人や、私と遊ぶのを楽しみにしてくれている友人の子供たち。

世界はもしかしたら、優しいところかも?もしかして私は愛されていたのかも…?騙されたと思って、こんな風に世界を見てみると、ザクザクとそんな証拠が集まってきました。

これまでは「私は不幸」という瞬間を切り取り続けてきました。だって30過ぎて結婚してないし、正社員じゃ無いし、あれもこれもないし…。ないもの探しはキリがない。

ですが、おもしろいことに、私に足りない物を持っている人達も、私にはあれが足りないこれが足りない…と真剣に悩んでいました。結婚している人も、正社員で働いている人も、起業して成功している人も。

事情はそれぞれ違うけど、みんなの悩みの核は「もっと愛されたい」といった内容でした。

みんな、私よりあれもこれも持っている人のはずなのに。 

アドラー心理学の幸せの定義は、あれをしてあげたとか、行為レベルの話ではなく、自分が存在している事で、誰かの役に立っているという「他者貢献感」なのだそう。私がいるからお母さんは、旦那さんは、子供は、嬉しい。

住む場所とか物とかお金というより、「愛」の問題。だから、あれもこれも持っている人達も悩んでいたのか?

出会う子供達を見ていると、はっとさせられることがあります。彼らは自分の欲求に素直。複雑に見える大人の問題も、子供たちが求めている欲求ともしかしたら同じなんじゃないか。

「(もっと)愛されたい、(もっと)こっちを見てよ」

とてもシンプルな欲求。だけど、大人になると、状況が複雑になったり、素直になれなくなったり。「愛されなかった」がこじれてしまったり。「私はこんなに傷ついた事を理解してほしい」が満たされないのも厄介。

真実をほじくり出そうとしてドツボにはまったり、「傷ついた」を分かりやすい形で表そうとしたり。傷ついた分を取り戻そうとしたり。

愛の問題の悪循環は、「愛されていない」と思った瞬間から始まるようで、愛されていない証拠探しをして、傷つく→愛されないなら、極端に悪くなって相手を引きつけようとする→傷ついた分、我慢した分を相手から取り戻そうとしたり、相手に怒りをぶつけたりする。

これまでの自分のことや、まわりの人の話を聞いていてふと疑問に思ったのですが、「愛」の採点の厳しさ。

長期的に見ると、沢山の愛をもらっているはずなのに、一回ミスしたら首!と言わんばかりに、愛の問題になると、ノーミスを求めてしまうのか。そして、その後に、「私はこんなに傷ついた」がもつれていってしまい。

「愛されている」に置き換えてみること、相手を責めたり、傷ついた分を取り戻そうとする前に、傷ついた事をまずは自分で認めること、普段から、相手の為と勝手に我慢のシンデレラにならないで、嫌なことやめて好きな事をして、人生は楽しく生きておくこと。この辺が対策?

それにしても、仕事の方が、まだ寛容的な気がする。

なんで何だろう?











地獄でなぜ悪い

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学校は想像していたよりも内容が濃くて、短期集中で、アレヤコレヤをぎゅっと濃縮して講義が進むこともあり、脳みそがパンクしそう😱

「脳だけ尋常じゃないくらい疲れる」というのはほっとくとなかなかやばいようで、今のうちに対処方法を身につけておきたい。

とどのように動かないタイプだったのですが、体が運動を求めているのを感じ、歩きたいな〜と思って、学校帰りに一駅、二駅と散策することが増えました。

新しい発見はあったり、なかったり。

最近よく行く、パン屋さんのパンが美味しい。外観は商店街にありそうな感じでおしゃれではないけど、ちょっと嬉しくなる素朴な美味しさ、程よい価格。オーガニックな国産の材料でこだわったおしゃれパン屋みたいな特別なステータスはないけど、優しい味。

そのパンをおしゃべりして笑いながらみんなで食べたり、ここのパンおいしいよね〜とかそんな話をしているのが好きです。

あ〜、こういう感じって凄く良いな〜と思います。こんな穏やかなことが、明日も、明後日も何気なく続いていってくれたら良い。

特別な何かで補わなくても。幸せって、もしかしたら、こんな事なのかなと思う。

特別なステイタスをコンプリートしていくのが幸せで、あれがない、これがない=不幸と思っていたけど。多分違うのだな。

いわゆる、一般的な幸せ…正社員でそこそこな暮らしをして、結婚して、子供がいて、家を買ってという幸せが手に入らなかったら、何かクリエイティブな職業についているとか、キャリアウーマンでサバサバした強い女性になっているとか、起業するとか、それも無理なら移住して豊かな暮らしを手に入れるとか。

誰にも文句を言われない「第1段階の幸せ」ゾーンからはみ出たら、「何か特別な」幸せや生きたかで補わなければいけないような気がしていたけど、そういう訳ではないのでは。

散々もがいて、「もしや、変わらなくてよかったのでは?」という思いがチラチラ湧いてきます。自分を変えるというよりは、世界の見方を変えれてあげれば、良かった…?

自分を変えるというよりは、すねていたのを辞めて、疎遠になっていたお友達に勇気をだして連絡とってみたり、自分を責めるのを辞めたり、本当はあの時も、この時も愛されていたことを思い出したり。

大きく生活を変えるより、そんな作業をすることが必要だったのかも。

時々、友達とあって笑ったり、不安を共有したり、お友達の子供と私のスマホポケモンゴーをするとかしないとかで、小学生の兄弟みたいなやり取りをしたり、大勢でピクニックに行く事になったり。

「今」にいっぱいいっぱいで、確実に、良い方向に行っているのだけど、時々過去のどす黒い事を思い出して、「あーー😱」となることもあります。

「愛されたかった人に愛されなかった」問題は根が深い。自分でも、まだやるか?と思うのだけど、あの時こうしていたら…とか、本当はこうだったんじゃないか?とか「愛されたかったけど愛されなかったあの人との事」の出来事のあれこれの事実を確認しようとしたり、自分を責めてチクチクしたり。

でも、真実を追求するのってあまり意味がないんだそうです。事実より、「傷ついた」という気持ちを認めて大事にしてあげる方が大事なのだそうです。

事実を追求しても、本当はこうなんじゃないの?また嘘をついてるんじゃないの?許せない…とか、私があの時こうしてたらこんな事にはならなかったじゃないか…とか、相手や自分を責めたり、終わりがない。

対処方法は、「傷ついた」という気持ちを漂わせておくのが良いらしい。そのうち飽きるから…だそう。

でも、グルグル考えても辛いし、気分転換に出かけるのも、何かするのもあれなので、最近は「あー😱😱😱」となったら星野源の「地獄でなぜ悪い」という曲を大急ぎで聞くようにしたら、良い感じ。

曲の感じが爽やかだから、ドロドロした方に気持ちがいかない。タイトルが素敵。