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シンプルライフと日々のグダグダ。

タンポポコーヒーで、また1つ呪いをとく。

10年ぶりに買ったタンポポコーヒー。

なんとなく、カフェインを控えてみようと思って自然食品のお店で買いました。タンポポコーヒーの味が、単純に好き。

穀物コーヒーやタンポポコーヒーは苦手な人も多いらしいのですが、普通のコーヒーとはまた違った美味しさがある。

タンポポコーヒーはちょっとお高め、1800円。でも、これ飲むとなんか幸せ。おいしいな〜と嬉しくなる。

そして、10年ぶりに本当は大好きなものを買って、また呪いが一つとけたような気持ちになりました。

自然食は付き合う彼氏がことごとく嫌いで、いつしか彼に合わせたり、幸せのタイムリミットに怯えて食事も洋服も「モテ」を意識したOL系✨の渦に飲み込まれていきました。

そこに自分の好きは1割はいるか入らないか。だから、「安い」という事も重要だった。だって、本来は好きじゃないもの。

幸せのタイムリミットに怯えて始めたOLさん風のファッション。そして非正規で低賃金で労働力を搾取されて自律神経がおかしくなっていくうちに、好きでもないもの、なんとなく合わない人、私を粗末に扱う人間に囲まれていきました。

自分が自分をダメなやつと否定していたから、そまつに扱われてもしかたないと思ってしまっていた。人が嫌がる仕事や嫌がられるような人の相手をする事で、自分を保っていたのかも。

自分の意思が、恐怖、コンプレックスに向かっていたような。

健康や体も全然大事にできなくて、もっと頑張りたいのに、なんで体調おかしくなるの!悔しいほんとうにやだ!なんて、体調崩しても、からだをいたわるどころか、そんな事を思っていました。

食事も、非正規でお給料が少なく、貯金がない自分が嫌で、貯金もしたいから、「安い」重視になっていきました。

何を食べたいとか、どこに行きたいとか、私の選ぶものはきっと間違っていると思ってしまい、口数が少なくなって、何を話せば良いのかわからなくなってた時期も。

自分の行きたいところというより、相手にはまりそうな場所を提案することが優先になったり。

断捨離前はやりたいことをやってはいけないみたいな思想になっていたな〜。

でも自分らしく生きれなかった結果、自分にも周りにも、よくなかったとつくづく思う。プロポーズまでしてくれた彼には、今思うと悪いことしてしまったかも。あのまま結婚してたら、私は安定した職業の夫をもつ、夫に愛される奥さんだったけど、あの人生を選ばなくて良かったなあと思う。幸せなはずなのに生き辛い!なんで?どうして?みたいな。

再出発する行動力私にあっただろうか。

自分らしくいきないことは、周りの人に不幸の巻き込み事故を起こしてしまう。本当は嫌いだけど、我慢して一緒にいてあげよう…みたいなものも。

20代の頃から思うと、今の自分はもっともなりたくない、不幸な未来だけど、こっち側はなかなか楽しい。

自己受容と、変化を恐れないこと。

断捨離が良いトレーニングになって、「自分にとって良くないもの」はバッサバッサと捨てれるようになった。

自分を大事にする、変化は本能的に拒否反応が起こる、幸せな方を選ぶ、私の人生は私のもの!

そうやって、変わりたいと思ってから約1年間過ごしたら、世界は穏やかで、優しく楽しい人に囲まれるようになりました。

それでまた、10年ぶりに学生時代の友人に再開してきました。彼女も、胃痛をこらえながら、数時間かけて、コンタクトをとった数人の1人でした。

彼女は学生時代の私のオアシスみたいな人でした。彼女はこれまであったキラキラの人たちとは違い、私と似たような思いで10年生きてきた人でした。

天気の良い公園でピクニックしたり、カフェに移動しながら話し込み、わかるー!わかるー!と。共感の嵐。

でも、嬉しかったのが、全然変わってないよ?と言われたこと。

10年経って、断捨離して変わったんじゃなくて、元に戻れた。そもそも、自分を捻じ曲げて変える必要なんて、なかったと思う。

非正規が長かった彼女ですが、正社員で営業の仕事をしていました。聞き上手の彼女にはとてもあっているお仕事だなあと思いました。

人と話す仕事と思われている仕事は、実際には「人の話を聞く仕事」とも言える。

話を聞いてくれないと怒り出す人はいるけど、話を沢山聞いてくれたことに対して怒る人って見たことない。

お客さんも大手企業の方が多く、会社の人もみんな良い人かつ、一人で行動することが多いから、人間関係の悩みや職場環境に対する不満がないと言っていました。

私の前職なんて、会社や会社の人への不満しかない!笑。そもそも、会社に入った時から、卑屈丸出しだったからなあ…!私が正社員になれるわけがない、待遇がよく、魅力的な仕事は私に似合うわけない!

友人にも色々悩んだ経緯があったようですが、彼女が今良い環境で安心して仕事ができている事がとても嬉しかったです。

自分に置き換えてみると彼女の仕事には良いところと悪いところ、やはり有りそうですが福利厚生が手厚く、職場環境も良さそうだし、やればやっただけお給料にも反映される感じで、イキイキしていました。

私が今無職✨である事を知ると、いつでも正社員で紹介できるよと頼もしい言葉が。

自由に隠居して暮らしたい気もするし、退職後の年金の話などを聞くと、安定した企業で正社員で働くことも意味があるように思うし、まあ、ゆっくり考えます。

いずれにせよ、健康第一です。

友人と再開する度、心のあかのようなものが落ちるだけでなく、仕事も紹介してもらえるという事が続き、良いことは本当に数珠つなぎなんだなあと思います。

よくよく思い返すと、これまでも、クライアントさんにさそってもらったり、友人に誘ってもらったりという事はあったのですが、自己否定が凄すぎで、期待違いだったと失望されたらどうしようと、一歩踏み出すことができませんでした。

でも、これけらは失敗しても、これからは差し出された救いの手に甘えてみようと思っています。

それにしても、自己受容して、卑屈が治ってから良いお誘いが増えてきました。

楽しい、穏やかな人に囲まれた今だから思うのは、卑屈な人は足を引っ張ろうとしてくる人が多くて、昔はよどんだ世界にいたんだな〜という事。

会社で度を超えて周りに当たり散らしていた人は、自分と折り合いがついていない卑屈な人でした。

また、不幸の伝道師のような元友人は、私に執着するのに、私の人格も仕事も変化することも全て否定。なのに、⚪︎⚪︎とは仲良くして欲しくないだとか、子供のような束縛をしてくる。

別れた彼氏の職場に出没したり、考えが合わなくなった友人の家族に会いにいって、⚪︎⚪︎について6時間話してきました!なんてびっくりするような事を言ってきたり。不幸の伝道師みたいな彼女も、自分と折り合いがついていない卑屈な人でした。

二人とも接点はないけど、とてもにている人でした。

卑屈な人は、誰かを「ダメな人」にして攻撃したり、見下さないと自分を保つことができないようです。そして、彼女たちのような人は、自分から人が立ち去る事に異常に反応します。

昔話でやまんばが追いかけてくるような、もう、その位の死に物狂いで追いかけるのです。

会社の人はさておき、(元)友人には思ったことをストレートに伝えるか、違和感を感じた瞬間に、そっと離れても良かった。

昔は、自分と折り合いがついていなかったから、そういう人とであってしまったのかもしれません。

自分と折り合いがついてから、彼女たちのような人とは出会わなくなりました。自分を脅かすような人の相手をしないと決めたこともあって、過去に出会ったやばめの人が目の前に現れてくることもありません。

一度踏み出してしまえば、変わる事ってそんなに難しくなかったなと思います。

・自分を大事にすると決めること
・要らないものや負の要素を取り除いてみる
・変化の際は本能的な拒否反応が起こることを理解しておく

このあたりを意識してからは早かった気が。

そろそろ過去の恨み言も、時間がもったいないから辞めたいな〜。


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