読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

気楽に暮らしたい。

3月中旬から人生のボーナスステージと称して1年間のんびり過ごすことにしました。生き辛いの断捨離後、幸せを探していきます。

好きなことで稼いだお金の使い方 その2

f:id:mim222:20161227173909j:image

ねこんでいたら、気持ちも回復。
wワーク状態に加え、連日友達とあって。
体が疲れていたのでしょう。

体を休めたら、気持ちも上向きに。

先日、基本的な生活費についてお金の考えをまとめましたが、今日はご褒美的なお金の使い方について。

必要経費ではない、お小遣い的なお金の使い方。

例えば、可愛い焼き菓子とか、オーガニックのよもぎ茶やタンポポコーヒーだったり、旅行や外食など。

こういった物は、ワクワクの投資として、最高!と思ったらちょっと緊張する額でも、ちょいちょい使おうと思っている。

例えば、手作りの可愛いクッキー500円。
作家さんもののワンピース2万円
シュトレン5000円

といった物。あとは、知り合いがやっているお店でお金を使うのも好き。

こういった場所でお金を使うのはフェイスブックのいいねを押したり、クラウドファンディングでお金を出すのと同じような感覚です。

だから、共感できる事には微々たるものだけどお金を落としていきたくて、本などの分かりやすくランキングが出るものや、知り合いが素敵なことをやっていると聞きつければ、なるべく買うようにしている。

疲弊していると、やすくて便利ならなんでも良いやと、ここブラックな噂のあるとこだよなあ…添加物山盛り…みたいなとこでも利用してしまったりするのですが、隠居中はひとつひとつ、お金の使い方も考えて使っていきたい。

無茶ばかり言うくせに攻め立ててくるクライアントやメンバー管理の補佐をして精神的にフルボッコだった頃、残業で多少お金を握ってた。

ストレス発散にと何か良いものを求めてウロウロしたけど何も心に響かず、その時に買ったものはのちの断捨離の際にフリマで売りさばかれる事に。

何か良いものとは、ストレスが吹き飛ぶほど心が動いて、頑張って働いた甲斐がある!とご褒美になるものを探していた。

ところが、そんなものは中々見つからず、せっかくのおやすみも、ショッピングに出かけ、心に響くものない…と呆然とするだけ。

せめて少しだけリッチにと1500円のランチを毎日食べても味もしないし。

お金を稼いで使っても、幸せになれないんだ、どうしようと徒歩にくれたのが懐かしい。

その時に思ったのが、自分の幸せを知っていないと、いくらお金があっても、幸せのスタンプがついたものにお金だしても、心が潤う事は無いということ。

良いお金の使い方をした時って、きゃー綺麗!とかまー!なんてストーリーがあるの!とか心が動いた時だと分かった。

私にとっては物語があることが重要だと分かったから、知り合いのお店や知り合いの関わった事業には、お金を出しちゃう。

もちろん、共感できる何かがある事が前提だけども。

家、満員電車、会社、スマホいじり、コンビニ、テレビの往復で疲弊した暮らしの間に入ってくる情報って、本当にろくなものが無かった。

負のサイクル。

疲れてくると広告がどんどん自分の中に入ってくるけど、結局はお金を使わせるための情報だし、お金を使った時にはなんとも言えないモヤモヤが。

なんか違うんだよなあ。お金を払うたびにそんな事を思っていた記憶が。

不幸の自給自足生活のドツボから抜け出るためにいちばんきいたのは、勇気を出して、幸せのキラキラの世界にいってしまった(と感じてしまった)友人達にあいにいったこと。

いろんな葛藤もあって進みが遅く、会えたのは5人かな。10年近く間が空いてしまっていたから、反応薄い人や連絡がつかなかった人も。

この5人の再開はとても大きく、キラキラの5人から色んな人も出会わせてもらった。

うじうじしてたのは自分だけで、昨日の続きのように付き合いが再開し、一人会うたびに色の無かった世界に一色ずつ色が入っていくような感覚に。

キラキラな人達がみてきた素敵な物事も洪水のように入ってきて、つまらない世の中は一気に素敵な物事が溢れる世界に変わった。

不幸の伝道師のように、私はいつと苦しんでいるべき、今いる場所や考え方が変わることは悪いことだなんて言っていた人達はいつの間にかどこかに消え去った。

会社からもらうお給料だけでは生活ギリギリで、切り詰めたお金の使い方は染みついてしまっているけど、時々は知り合いの働くお店でおいしものを食べて、素敵なものを買ってという事をやっていきたい。

買っても買わなくても、食べても食べなくてもどうでも良いけどもう面倒くさいしという出費を弾き、心が動くお金にまわしていけたら。

お金は貯めておくものという認識だったけど、貯蓄もしながら、使うべきところには使っていきたい。