社会に出て気がつくと10年以上が経った。
ストレス耐性を身につけた代わりに、幸せ耐性を私は失ってしまった気がする。
やっと転職先も見つかり、あとは入社を待つだけ…。申し分ない条件、社風も良さそう、おろもしろそうな事をやってる会社、無理ない範囲でやりがいもありそうな仕事。よい転職になったと思います。
やっと人並みの暮らしができる。まだ実感がなくて、ぼーっとしてしまう。
社会人として最低限いるかな…という文具や服をチェックしたり。エクセルの関数を復習しておこう、とか。副業の事をやったり、時々友人と会ったり。
毎日のんびり過ごして、お金はないけど恵まれていると思います。ですが、なかなかの憂鬱さ…。マリッジブルー的なあれです。きっと。もー、怖い怖い。あー、緊張する。単に転校生ブルーみたいな感じと、マリッジブルー、どっちだろう。
十代の頃に見た、「下妻物語」という映画のセリフを時々思い出します。うろ覚えだけど、不幸でいるよりも、幸せになることの方が怖い。幸せを受け入れる怖さより、不幸でい続けることの方が楽だ…みたいな。
なんかそんなセリフだった気がします。自分がなんとか考えていた事を言葉として聞いて、ものすごい衝撃的で、映画は大好きで何度か見たけど、怖くてそのシーンを見るのが怖かったのを思い出した。
「幸せ耐性の無さ」なんか、自分にそんな事を感じています。「幸せになる怖さ」「嫌な人といる苦痛」本質的には全然違うはずなのに、両方ともブルーな感じ。それらを天秤にかけた時に幸せになる怖さのほうが怖くて、現状を維持する方を選んだり、逃げたりしていた。本質的には全然違うものなのに、不快感という一括りにされていたり。
バンジージャンプのような…。怖いのは今も変わらない。けど少しだけ変わったのは、飛び込んじゃえ、失敗してもよいじゃんと思えるようになったこと。
失敗するくらいなら今と同じ苦痛が続く方が良いと思っていたけど、失敗するかもしれないけど、楽しい方に変わるかもしれないし、いーじゃんべつに失敗しても…。半年後派遣社員しつつ、転職日記を書いてても、べつにいいじゃないか。
でも、できればもう大きく人生を変えたくありません。田舎に移住とか海外に住むとかもすごく憧れたけど、淡々とこのままの暮らしが続くほうが幸せ。よほどの自然な流れがない限りは良いや。
就活という大きな荷物が降りたので、あとは仕事を頑張りつつ、それこそボーナスステージの探し物を。「婚活」これもまた、幸せ耐性が試される恐ろしいもの。あー、怖い怖い。
女の幸せは、複雑な時代だなと思います。結婚した=幸せ、離婚した=不幸でもない。最近は男性側の話を聞くことも多くて、結婚した側の悩みや、リアルな本音など女性側の話よりリアルで、うーんとなる話が多い。本当にみんなそれぞれです。シングルマザーでイキイキしてる人とか、淡々としあわせにやってる人とか…。
なかなかのお話を聞くことも多いのですが、「この人だから」結婚したというカップルは順調な人が多いけど、「○歳だから結婚しなきゃと思って」みたいな理由で結婚した人達はの不満は厄介な感じで、相手には非が無いのに、不満を色々募らせてしまっているようで、お相手への理不尽さが…。結婚が幸せのゴールなんて時代ではまったくないんだなって。
なんというか、幸せは本当に人それぞれなんだなって。今から焦って「パーツ」集めのような事を必至にしたとしても自分は幸せを感じる事は出来ないのかもしれない…と。それどころか、巻き込み事故を起こしてしまうんじゃないかって気が。
時には頼ることも必要だけど、自分の幸せと、大切な人の幸せを守れるような経済力と、視点みたいなものは持っておきたい。体のリミットはあるので焦るし、失敗したら仕方がないのだけど。
博打的かつ、大きく生き方を変えるような「幸せ探し」は一旦終わりにしようと思っていますが、まあ、ボーナスステージでぼちぼちと。