気楽に暮らしたい。

3月中旬から人生のボーナスステージと称して1年間のんびり過ごすことにしました。生き辛いの断捨離後、幸せを探していきます。

地獄でなぜ悪い

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学校は想像していたよりも内容が濃くて、短期集中で、アレヤコレヤをぎゅっと濃縮して講義が進むこともあり、脳みそがパンクしそう😱

「脳だけ尋常じゃないくらい疲れる」というのはほっとくとなかなかやばいようで、今のうちに対処方法を身につけておきたい。

とどのように動かないタイプだったのですが、体が運動を求めているのを感じ、歩きたいな〜と思って、学校帰りに一駅、二駅と散策することが増えました。

新しい発見はあったり、なかったり。

最近よく行く、パン屋さんのパンが美味しい。外観は商店街にありそうな感じでおしゃれではないけど、ちょっと嬉しくなる素朴な美味しさ、程よい価格。オーガニックな国産の材料でこだわったおしゃれパン屋みたいな特別なステータスはないけど、優しい味。

そのパンをおしゃべりして笑いながらみんなで食べたり、ここのパンおいしいよね〜とかそんな話をしているのが好きです。

あ〜、こういう感じって凄く良いな〜と思います。こんな穏やかなことが、明日も、明後日も何気なく続いていってくれたら良い。

特別な何かで補わなくても。幸せって、もしかしたら、こんな事なのかなと思う。

特別なステイタスをコンプリートしていくのが幸せで、あれがない、これがない=不幸と思っていたけど。多分違うのだな。

いわゆる、一般的な幸せ…正社員でそこそこな暮らしをして、結婚して、子供がいて、家を買ってという幸せが手に入らなかったら、何かクリエイティブな職業についているとか、キャリアウーマンでサバサバした強い女性になっているとか、起業するとか、それも無理なら移住して豊かな暮らしを手に入れるとか。

誰にも文句を言われない「第1段階の幸せ」ゾーンからはみ出たら、「何か特別な」幸せや生きたかで補わなければいけないような気がしていたけど、そういう訳ではないのでは。

散々もがいて、「もしや、変わらなくてよかったのでは?」という思いがチラチラ湧いてきます。自分を変えるというよりは、世界の見方を変えれてあげれば、良かった…?

自分を変えるというよりは、すねていたのを辞めて、疎遠になっていたお友達に勇気をだして連絡とってみたり、自分を責めるのを辞めたり、本当はあの時も、この時も愛されていたことを思い出したり。

大きく生活を変えるより、そんな作業をすることが必要だったのかも。

時々、友達とあって笑ったり、不安を共有したり、お友達の子供と私のスマホポケモンゴーをするとかしないとかで、小学生の兄弟みたいなやり取りをしたり、大勢でピクニックに行く事になったり。

「今」にいっぱいいっぱいで、確実に、良い方向に行っているのだけど、時々過去のどす黒い事を思い出して、「あーー😱」となることもあります。

「愛されたかった人に愛されなかった」問題は根が深い。自分でも、まだやるか?と思うのだけど、あの時こうしていたら…とか、本当はこうだったんじゃないか?とか「愛されたかったけど愛されなかったあの人との事」の出来事のあれこれの事実を確認しようとしたり、自分を責めてチクチクしたり。

でも、真実を追求するのってあまり意味がないんだそうです。事実より、「傷ついた」という気持ちを認めて大事にしてあげる方が大事なのだそうです。

事実を追求しても、本当はこうなんじゃないの?また嘘をついてるんじゃないの?許せない…とか、私があの時こうしてたらこんな事にはならなかったじゃないか…とか、相手や自分を責めたり、終わりがない。

対処方法は、「傷ついた」という気持ちを漂わせておくのが良いらしい。そのうち飽きるから…だそう。

でも、グルグル考えても辛いし、気分転換に出かけるのも、何かするのもあれなので、最近は「あー😱😱😱」となったら星野源の「地獄でなぜ悪い」という曲を大急ぎで聞くようにしたら、良い感じ。

曲の感じが爽やかだから、ドロドロした方に気持ちがいかない。タイトルが素敵。