そんな中、手紙を書こうと思ったのは、キラキラ生きているように見えた友達がずっと目の敵にしてたお母さんと仲直りしたくて手紙を書いた話を聞いていたからかもしれません。
友達にもたくさん相談して、大失恋した相手にも何故かアドバイスをもらって、やっぱりお母さんとは仲良くしたいな〜と。
私の家の場合は、祖父母が信じられないくらいのいわゆる農家脳というやつで、昭和初期?みたいな家庭でした。
男尊女卑、嫁いびり…などなど。親戚が集まり、祖父や親戚の子供達同士であそぼうとすると、女は邪魔だからあっちへ行けと祖父に何度言われたことか。
母親はそんな祖父母や親戚の集まりでは1人で大量の料理して、小間使いのようにあれこれ要望に応えて。具合が悪くなって他の親戚から休みなよ声をかけられても、祖父からさぼるなみたいなことを言われたり。
私が怒って母親をかばうと、お前のしつけが〜とか、こいつはなってないから施設に預けろとかそんなことを言いはじめる。あなたのせいで私が怒られるから大人しくしててと母親に言われるのもすごく嫌でした。
どうして?私はあなたの事を守りたかっただけなのに。それで、それ以降、家族に何か欲しいとか、してほしいとか、甘えた記憶がほんどない。ここには敵しかいない。敵を倒すか、早くここから立ち去って1人で生きていかないと。そんな事を4〜5歳で強く思った記憶があります。
でも、今思うと母が一番の被害者。今の私より若い状態であんなひどい舅、姑がいる家にお嫁に来て、母は凄いな〜と今なら思う。
私だったら、大騒ぎした挙句、絶対離婚するな。
だから、仕事を辞めて実家でゆっくりなんて考えはなく、家族といるのもブラック企業で働くのも大差ないというか…。
東京で潰れたら死ぬしかない、一人で生きるしかない、そんな気持ちで生きてきました。でも、気持ちを整理したり、いろんな人に相談にのってもらって、そんな酷い家なら帰る必要ない。私なら帰らない、祖父母は無視で良い。でも、親は別だよね、と。
10代の頃に母親には子供の頃の気持ちは話しているので、今更そこをほりだして、恨みつらみをぶつけても意味がなく。
10代の頃の私が伝えていないことは、母への労いとか、感謝とかありがとうとか、仲良くしたいとか、そんなことでしょうか。
母親世代の職場の人に、もっと親に頼りなよ。頼ってくる子のほうが可愛いし、嬉しいんだよって言われました。
でも何を頼ろうかな。お金の無心はしたくないし、兄弟とも話しているけど、今や私や兄弟のほうがしっかりしているしな…。
東京にいる親戚に、就職のお世話でも頼んでみる…?イヤイヤ…。
でもね、変な意地をはってる場合じゃないなって危機感を感じることがあります。東洋経済オンラインの女性の貧困シリーズをよく見ていますが、貧困に陥りやすい女性の特徴として、実家を頼れない、行政を頼らないなどの特徴を挙げられていました。
親と疎遠なことで、経済面での厳しさは若干感じていましたが、結婚、出産した友人を見ていると、もしも、この先子供が生まれたら…と思うと親と孤立した状態ではかなり厳しいようにも感じます。
生き辛さや、自分を変えるためにも必要な事だと思ってます。だって、歪んだ心の中をこじ開けると、母に愛されたかった、このたった一言だけ。4〜5歳の私が誰にも頼らずに1人で生きなくてはと覚醒した時の心の中身は、家族に愛されたい。でも拒否をされるのが怖い。粗末に扱いやがって〜とねじれてしまっただけなのです。
ねじれた心の中身って、笑ってしまうくらい弱々しくてピュア。叶わなくても、自分でそんな思いを大事にしていきたい。
すぐに…とはいかないけども、数年かけて、ゆっくり改善して行きたいと思います。
よし、手紙を書くぞ。