気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

一人じゃ寂しいし、お母さんに愛されたかったのだなということ。

昨年は物の断捨離の年でしたが、今年は本当の意味での膿を出す年のようで、仕事やら、恋愛やら、まあ、いろんなことが起こる。

傷つくのが怖くて、本当の欲求からはいつも目をそらして生きてきました。本当に好きな人に告白なんてできない。本当に好きなものは手を出せない。

私の人生を変な方向へ進めたのは、自尊心の低さと、勇気がなくて本当の気持ちから目をそらし続けてきたからなんだって大失恋で気がつくことができました。

今回は、ダメージ大で沢山の人を頼って、話を聞いてもらいました。最初、お相手の方には憎しみでいっぱいだったのだけど、心の中をこじ開けて、素直な気持ちをお話してみました。

そうすると、大好きと傷ついたでいっぱいでした。その二言以外はないのに、よくもまあ、あんなにごちゃごちゃと出てきたものだ。

とても好きだったこと、傷ついたこと、あの時は本当はこう思っていた…などなど。憎しみではなく、ラブレターとごめんなさいの手紙を相手に送っているような、そんな感じの話をしました。

今までの私にはあり得ない事でした。

今までなら、相手を罵るか、きな臭いこと言ったり、着信拒否したりとか、相手を見返す為に新しい恋か転職!とかそんな感じでした。

でも、本当の本当の胸のうちって、大好きな人が去っていくのが悲しい。だと思うのです。傷ついた事を分かってが形を変えて暴走していくのかな〜とかおもってみたり。

私がヒートアップしたからか、お互いかなりヒートアップして、一時かなりきな臭い感じになっていましたが、本当の気持ちを話したら、相手も嘘みたいに落ち着いて沢山の優しい言葉をかけてくれました。

これはバトルロイヤルの始まりか?やんのか?と思ったのですが、お互いの幸せを応援しようね、なんだかんだお互いのこと良く知ってるからね、と円満に別れた元旦那のような、そんな関係になれそうな感じ。

これまでの私なら絶対にあり得ない。

今回の大失恋は素直になれなかったばかりに、ボタンのかけ違いが起こって修復できないところに来てしまっていたのですが、今後は絶対に本当の気持ちにそむかないぞという良い教訓にもなりました。

でも、大人になるとこれってなかなか難しい。自分を犠牲にしたり、既存の幸せのレールにのらねばと思って自分を押し殺したり。でも、心の中をこじ開けてみると、結構ピュアで弱々しい思いだったりします。

相手を傷つけるものはダメだけど、この手の思いを一つずつ大事にしていこう。それができるのは自分だけなのだから。

それで、ずっとずっと見て見ぬ振りしていたお母さんに愛されたい、お母さんと仲良くしたいという気持ちを見つけました。色々あって10年ほど実家には帰ってないのです。

で、はじめてそんな気持ちを認めてあげたら、肩の力が抜けていくような、不思議な気持ちが芽生えました。

そうそう、お母さんに愛されたかった。でも多分、お母さんは私の事、それなりに愛情を持っていてくれてるんじゃないかな〜という事も。

当時の家庭環境やら、長女だったり、色々あってお母さんに甘えられなかったけど、私のこのひねくれた行動のおおもとはきっとここだな。

私は幼少期の頃の母へのねじれた気持ちから、何にも変わっていないのだと気がつきました。拗ねてる子供と同じ。友達の子供と過ごすことが増えて、私って子供と同じじゃないかと。

そして、10年ぶりにあった友達と仕事の話やらなんやら色々話していて、あなたは寂しがりやだからね〜と言われてビックリしました。

キラキラしていて会えなかった人の一人です。

彼女にも沢山のアドバイスをもらいました。幸せになってる人は芯が強い、自分を大事にしつつ、上手に人に頼ってるんだな〜とか学ぶこと沢山でした。

なんで私にはこんな変な奴ばっかり寄ってくるわけ?とか思っていたけど、それは私が寂しがりやだから、そんな人でも話してたいと若き日に彼女に言ってたのだそう。

よくそんな人と一緒にいれるねと彼女に言われて、私はそんなことを口にしてたとか。

それを聞いて、ギャグのように崩れました。これ!絶対に不幸の源やつこれ!!

で、いつだかブログに書いたホリエモンのことも思い出しました。ホリエモンが刑務所にいるときに仕事したいと思ってたと聞いてビックリした話。自分は寂しがりやだから、仕事してれば誰かと一緒にいられる…と。

だから、私はフリーランスとか、パソコンだけで1人で仕事するとかはやだなって思うのか。

私は自分のこと一人大好き人間だと思っていたけど、違ってたみたいです。本当の自分の欲求と違う行動を取っているのだから、幸福な訳がないのです。

いくら海外に長期で行っても、家でゴロゴロアイス食べていても。

それで、私が本当にたどり着きたかったのはお母さんだったのだな〜と。大量のOL服を買い込んだみたいに、良い転職先、結婚相手で自分を武装して、お母さんに会いに行きたかったようです。

ずーっと、10年も。だから、ちょっとずつ軸がぶれていたのです。「私の幸福」に軸がなく、寂しい、武装したいが知らず知らず軸になり、世界が歪んでいく。

でも、お母さんに会いに行くのにそんなものは必要なかったはず。なんで結婚したいの?に答えられなかったり、適当な理由を伝えてたりしたけど、本当の理由はお母さんに、ナイトとともに会いに行きたかった。

なので、このあたりは今後はしっかりと切り離して考えていきたい。

ほつれた人生の糸は、複雑なようで、とってもピュアで単純な願いで絡まっているだけなのかもしれません。

母へは手紙とちょっとした贈り物から、コンタクトをとっていこうと思います。