節約癖がある。
本なんて、ほとんど買って来なかった。
お金=貯めるもの。
本棚の本は5年前のラインナップでとまってる。大事に何度も見返しているけども。
欲しくても我慢した自分偉いぞが喜び。
食材も、食べたいものというより、国産で一番安いものとか、そんな選び方。
これは、これで良いのですが、こんな選択を続けていると、ここぞという時、お金を出し惜しみしてしまっていけないなあと思います。
無駄を省きすぎると、新しいものが入ってこなくなって、幸せなところへ連れて行ってくれなくなる。
例えば、先日だと大原へんりさんのトークショーに行った時。本当は大原さんの本2冊、phaさんの本を買ってあわよくばサインを…と思ったのですが、結構な出費になるなと思ってひかえてしまった。
(サインくださいって言えなかった)
本3冊で約4500円?
4500円無くなるの怖いっ!みたいな。
怖いはお金がなくなったら生活できないとかそんな気持ちなのかなあ。
お金を使う=怖いみたいな図式ができてしまっていた。
あの時書いたかった本は今、1冊ずつ買って行ってますが、まとめてかっとけばよかった。幸せな読書三昧タイムになったに違いないし、私の考えがかわるスピードが早まったかもしれない。
例えば、オーガニックマーケットでこだわって作られたパン、旅、トークショー、ワークショップなど、自分の核になるよう物は、お金を出し惜しみするほうが損だと思った。
お金が減るより、人生に彩りがない方がよっぽど損。
無駄を全てカットしてしまうと、なんにもない部屋で予定もなく自炊し、ぽつん。
以前、断捨離をしまくった結果、そんな状態におちいり、ただただ暇だった。
無。
無は時にはハッピー、時には凶器。
自分の核になる部分のお金の出し惜しみは幸せという観点から見ると、何も広がらず、駄目ですねえ。
ワクワクへの投資というか、小さなワクワクを育てることで職業になったり、同じ匂いのする人と繋がったり。
なんだろう、バーベキューができる家、本を買うこと、コロニーヘーブを持つ、自分らしくお洒落をする…とか。
ここぞという、自分の核になる可能性のあるもの、なんだろう?
限りのあるお金だけど、自分の核になるような物に使うお金は幸せの種まきみたいな物だから、使うべきお金は使おうと思った。