不幸からの卒業が進むいっぽうで、新たにとり入れるものや、新しい知り合いができるなど、世界も広がっています。
ものや不幸の切除をする際に、必要なものは何か?不要なものは何か?をとことん向き合ったから、新しく入ってくるものごとは納得してキラキラと迎えられる。
失敗しても、アップデートが早い。
不幸を寄せ付けないサイクルがまわりはじめているきがする。
人生早く終わらないかな…生き辛いから一変、来年どうなってるんだろう、ワクワクへ。
不幸は潔く捨てて、アップデート。
捨てる、辞めるはOKだけど、どうしてダメだったのか、何を取り入れれば良かったのか?立ち止まって考えることは必要。
仕事は特にそうかもしれない。
ブラック企業なんて、辞めてしまえば良い。
自分の健康や人生の残り時間のほうが大事。
自分を粗末に扱うコミュニティなんてゴミ箱へ。
けれど、そんな会社を選んで入ってしまったのは間違いなく自分。変な会社に引き寄せられ、自分を悩ませるような変なコミュニティを築いてしまったのは自分。
リサーチ不足?正社員や業種などの符号に目が眩んだ?自分の棚卸し不足?コミュニケーションで反省するところは無かったか?それともやっぱり会社がクズ?
面接で違和感を感じたのに、体の声や直感を無視して内定もらったのだからという脳の声を優先したから?
次失敗しないための棚卸しは必要。
自分を責めるためではありません。
次のステップを幸せなステージにする為に行なうのです。
離婚も、退職も、お片づけに共通するところがある気がして。勇気のある卒業おめでとう!
次、また同じことを繰り返さないためにはどうしよっか?という感じ。
床が見えて、収納にもゆとりが出る程度まで片付けると、あきらかなゴミや不用品は無くなってきます。
片付けの本当に面白いのはここからです。
また、時間がかかるのもここから。
使っているものかお気に入りの中からの、削ぎ落としが始まり、とことん、自分と向き合う事になるから。
物にストーリーがあるものは捨てにくい。
どうしようかなあと捨てるのを戸惑うものは、手にした時に、物語がちらつくものが多かった。
高かったけど着なかったとか、嫌いな人からもらったけど、貰い物だから捨てられないとか。
物語がちらついた途端、片付けが途端に進まなくなります。そんなことを繰り返しているうちに、片付けが進まなくなったり。
だから、物にストーリーを混ぜ込まず、大胆に物を手放し、無印で統一!みたいなミニマリストの暮らしに惹かれるのかもしれません。
お寺のように雑念が入らない空間っぽい。
手にした瞬間、もやもやしたストーリーが浮かぶ時点で捨ててOKとしているのですが、そこまでたどり着くのが長かった。苦しいのを我慢するのが正義!の時代が長かったから。
片付けで自分と向き合う、
お片づけセラピーと勝手によんでいます。
物語を整理して、手放すのか、手元に置いておくのか、手放してあらたな物を手にするのか…。
ものを通して自分とむきあっていくのです。
幸せにいきても良いという事。まずは自分を幸せにすることで、人も大事にする。
物を通して、人生をそんなほうへ持っていく練習をする感じ。
最小限主義という考え方はとても面白かった。
核になる部分はなんだろう?と突き詰めたのは良い経験。
ものから始まり、幸せの最小限を考えたのが大きかった。
物も幸せも持てば持つほど人生が複雑になる。
幸せのバッチを沢山持っていることが大事なのではなく、今の自分の状態に納得できている事が大事なんだと心から思います。
お片づけアドバイザー的な仕事もいつかやってみたい。ベリーショートで、リネンの服を着て、センス良く、力強い幸せなおばちゃんになったら、お若い方に、大丈夫よ〜!とかいいながら。