気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

一番幸せにお金を稼ぐ方法を考えてみる。

東京は好きだ。働くことも、多分好きだ。
だって、仕事から帰って徹夜でアクセサリーを作り、納品書を書き、大型連休は地方で雑貨展をしてみたり、好きだね〜経済活動!って自分でもびっくり。

働くことは何よりも嫌いだという認識だったから。幸せに楽しくお金を稼ぐ事は労働にカウントしていなかった。

アクセサリーを売り始めて、始めは全然売れず、デザイナー時代の事を思い返して、ちゃんと戦略を立てた。

数字を追いかけて、数字を上げるのは好き。

ターゲット層や売れているものをリサーチして、仮説を立てて、実践して、結果を踏まえて戦略を練り直して結果を上げる。楽しい作業です。

だけど、一番嬉しかったのは、かわいいとか、楽しいという気持ちを動かせた事が何よりも嬉しかった。

あとは、子供の面倒を見るとか、新入社員を育てたり、そういうのも好き。

今の仕事と正反対。私が持ち合わせている性格や、欲求とあっていないから、今の仕事に満足することはもうあり得ないと分かってしまった。

それでも、ボーナスや福利厚生など何かあれば良いけど、そんなメリットもない。

こんなところになんでしがみついていたんだろうか。病気になってまで。

うけるー!

いわゆる、降りたら終わるゲームみたいな気がしていた。たかたが契約社員なのにね。安い労働力で、よく働いた。

もう充分。労働力の安売りもおしまい。

幸せにお金を稼ぐとか、考えたことも無かった。仕事は辛いもの、幸せは人から見て自分が幸せに見えることが大事だと思っていたから、なかなか思いつかない。

せっかくだから、転職活動の旅と名ずけたブランクを作ってみようと試みている。

旅人というお客さんでいるより、何か役割があったほうが面白いから、何かしら仕事しつつ。

仕事も悪いことばかりじゃない。仕事をする事でコミュニティの中で役割という居場所をもらえるものでもあると、旅先でいろんな人とであって思った。

沢山の素敵な人が集うパーティーがあったとして、ゲストして1人でいってもなんだか溶け込めないけど、スタッフという役割があれば、その場にすんなり存在できる。そんな感じ。

旅人の私はシャイで何も話しかけられなくても、お店のスタッフとしてならドンドン話せる。そんな性格なのだ。

だから、仕事も使い方次第だと思う。
仕事も、物と同じく生きるための道具なんだと思う。物と同じく、仕事>人間、一目となってしまうとバランスが崩れていく。

煮詰まった時には、旅は良い薬だ。
知らないところも良いけど、古い友達を訪ねるとか、コミュニティが広がりそうな場所を訪ねる旅…だとなお良い。

コミュニケーションの伴わない旅には、価値観の変化は起こりにくい。

東京は好きだけど、東京にいるとなんだか疲れて、ぼーっとしてしまう。

人も情報も多すぎで、家電量販店の中で生きてるみたいな、そんな感じなんだと思う。

なんだか考えがまとまらなくなる。

ブラック企業長時間労働をして、朝は満員電車に揺られて、家電量販店みたいに賑やかでごちゃついた町に消えていく。

なんだか疲れてもうろうとした状態で人ごみにいると、自分が存在しないみたいな気もしてくる。それは、都会の長所でもある。干渉的な田舎から出てきた10代の私は、ほっといてくれる!東京ってなんて素晴らしいところなんだろうと思えた。

最近、若い子が労働を苦にして、自ら死を選んでしまうニュースを度々見たり、当たり前のようにおこる電車への飛び込みについて、やるせないなあと思う。

仕方ない、またかではなく、やっぱり、おかしいものはおかしい。

労働を苦にして死を選んでしまうことは、やるせなくてしょうがない。だって、本当の命のリミットはまだまだ先。

本来は生活費を稼ぐための仕事。宵越しの銭は持たないの江戸の町民のように、生活費が無くなったら働く。人があって、暮らしがあって、それを維持する手段が仕事。

私はこれが本来の労働のあるべき姿じゃないかと思う。

一方で、仕事大好き!死ぬ直前まで働きたいとワイワイ話しているような人もいる。

また、ブラックに耐えられる強さがあれば、その後仕事する上で楽といえば楽かな。

うすーいところでIT企業と関わる事が多かったけど、ブラックじみたとこが多かった。一部の人だけ盛り上がってる体育会系こ部活的な…。無茶を言ってくる人や、怒鳴り散らしてる人いっぱい見た。けど、ブラックの中の人達はガンガン働く事が楽しくて楽しくてしょうがない人もいる。わーわー怒鳴られてた人が、怒鳴り散らしてた上司と休日は家で飲み会!しつつ、あの人別に悪い人じゃないよなんていってたり。

私には理解不能の世界だった。

絶対に理解はできないけど、ガンガン働きたい人たちの敷地を荒らす必要もないし、住み分けが大事なのだと感じた。自分を把握して、どこに所属するのが適切なのか?を考える作業が必要なんだと思う。

だから、所属する会社はあわなければ、切り捨ててしまえば良い。道具や仕事が、主になってはいけない。

体を壊しても会社は何もしてくれないし、体を壊すと元に戻すのは大変だし、失った命は絶対に帰ってこない。

新卒で早期退職した自分が許せなくて、自分はもうだめなんだと非正規ばかりを選んだり、人が嫌がる辛い仕事をわざわざ選んだり。結婚という免罪符を手に入れるべく、右往左往したりもした。

でも、そんな生き方ももうおしまい!

自分を不幸に追いやる要因は、物と一緒に少しずつ、少しずつ、捨てる事ができたから。

苦しい不幸な性格から、抜け出したい時に、すぐにできる事は自分を許す事だと思った。

仕事を辞めること、仕事を辛いと思うこと、へんな会社に入ってしまうような感性を持ってしまった事、幸せにしてくれる彼氏や旦那さんに巡り合えないこと、幸せに生きたいと思うのに、実現できていないこと、強くもないのについ強がってしまうこと。

すぐに、変わらなくても、そんな自分を許す事が、まずは変化の第一歩。

自分を許せない人は人も許せない。
自分を許す事で周りの人にも寛容的になれると良い。

まったく、誰に向かって意地を張っていたのだろうかという位肩の力が抜けてくる。

仕事は年内にできる辞めてみようかなあ、でも、生活費どうしようかなあ…がぐるぐる。

人は簡単には変われないのだ!
バンジージャンプみたいな怖さがある。
退職っていうよりは脱会ですね。

押すなよ、押すな…のあの状態みたいな感じ。