気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

環境に左右されない、私のゆるぎない幸せを考える。

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いつもの至福のコーヒータイム。
カルディで買ったコーヒー豆。

今日はシナモンコーヒーにしてみる。うまっ。

幸せになりたいと子供の時からずっと願って右往左往してきたけど、
いつもナーバスでブラック企業に入っちゃうし、意地悪な姑みたいな人に嫌な事を言われたり、20代は暗黒の時代で最悪、人生早く終われと思っていた。

30代になって、一般的な幸せの符号集めは何もないのに、今はそこそこ幸福感がある。
20代よりはるかに強くなったし、自分を大切にしよう運動(幸せバリア)で嫌なものが寄り付きにくい体質になってきた感もある。

いろんな人と話して、不用なものをすてて、自分軸の幸せを意識するようになった事が大きい。

最近幸せだ、最高と思った事は…

1.スーパーで買った梨がおいしかった事。
2.コーヒーを豆からいれてのむ事。
3.みりんが切れてて醤油だけで作った切干大根がおいしく出来た。
4.作ったアクセサリーをかわいい女の子がかわいいかわいいとお友達と見ているのを目撃した。
5.3人組のおばちゃんが私のアクセサリーを見て、きゃっきゃしていて、私はこれを買うわ~私はこっちと3人とも買ってくれた事。
6.アクセサリーの売り上げが順調に伸びている事。
7.椎名林檎と宇多田ひかるの音楽を聴いた。
8.一ヶ月間残業をしていない事に気がついた。

こんな感じです。

一方で私が若き日に思い描いていた30代の女性の幸せは、
20代で結婚して子供を持つ、専業主婦で、優しくて稼ぎの良い旦那さんがいて、一軒家があって、都会に住んでいる。
結婚していないのであればかっちょいい仕事をしていて、
ブランド物を持ってかっちょいいマンションに住んでいる。

こんな感じ。幸せのバッチ、環境への依存が高い。幸せのパーツ集めが大事。

「物や環境がそろっている=幸せ」と思っていたし、そうしなければいけない、そこからそれる事は人生の終わりだと思っていた。
だから20代は幸せのタイムリミットにおびえて過ごしていた。乗り遅れる…この世の終わりだ!みたいな。

環境や人が中心と言うことは、思い通りになりにくい。
誰かにどうにかしてもらおうとキーキーするのは最悪な状況をまねく。
誰かどうにかして―、私の望みはあなたが叶えてーが許されるのは赤ちゃんや小さな子供だけ。

20代は幸せのタイムリミットに切羽詰まっていたけど、今は自分軸で生きているからさほど切羽詰まっていない。
ただ、体のタイムリミットはあるから、そのあたりはちょっとひっかかっているけど、リミットが過ぎたら過ぎたでどんな結果でも、今ならさほど取り乱さないだろうな。

20代は忍耐、我慢の年代にしてしまったけど、もっと自分の為に生きて楽しい事をいっぱいして、好きな人と会いまくれば良かったのだけど、こうでなければならないと謎の呪いの鎖でぐるんぐるんに巻いていた。

今はそうゆうのが無くなったから、何の幸せのバッチも持っていないけど、そこそこ幸福感はある。
30過ぎて呪いがとけて、さーて、何しようか?とわくわくしている。

幸せとは感情。ごはんを食べておいしいと感じるのと似ている気がする。

山の上で食べるおにぎりとカップラーメンが最高においしかったり、
いじわるな同僚の愚痴を聞きながら食べる1500円のランチがおいしく感じなかったり、
極上のフレンチを何度も食べていると飽きて感動が薄くなってしまったり。

幸せってそんな感じなんだと思う。結婚、仕事、お金とはまた別の問題。

自立して、できれば楽しくお金を稼いで、環境に左右されない自分で完結できる幸せな生活の基盤を作り、
そこが安定してきたらコミュニティを作って行く感じが良いいかなあ。

自分の状態が悪いのに外にでても、負を呼び寄せたり、負をまき散らしてしまうから、今は自分の状態を良くするためもうちょっと模索したい。

今は楽しくお金を稼ぐ土台作りをもうちょい頑張りたい。ここをがんばる事で、コミュニティも少し拡がっているのが楽しい。

稼ぎ頭のアクセサリーは手を広げようかこのままにするか悩ましいところ。