気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

30代からは楽しいに貪欲に。強い意識をもってかわる。

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趣味のアクセサリー作りで作った紫陽花の樹脂ピアス。押し花にした紫陽花の花びらを樹脂で閉じ込めました。樹脂は10年位ずっとやりたいと思っていたのでやっと手を出せて楽しい!

4足のわらじ生活も小休止中。
暮らしの棚卸をして生活を整えながら次に備えます。やはり、余裕が無くなると部屋が荒れてしまう。

基本的には物が少ないせいか、片付けを始めるとすぐに片付くから楽だ。

久々に部屋を見渡してみる。
小さな食器棚以外は全て作り付けの収納に収まっているこの状態が、今の最小限。稼働しているものが殆ど。使っていないものが紙袋一つ分位になると、家の中から手放せそうなものをかき集めてフリマに出たい衝動が起こる。

物を減らして、無駄な家事や残業を減らして時間を手に入れました。物を手放したのと同じように、本当に必要なことか、不用な事かをひとつずつ判断して、生活の中の無駄な時間を省いていきました。また、心をかき乱すようなネガティヴな要素も切り離していきました。

そうすると、時間もあるし、心も元気だし、何かに挑戦したい!という衝動が湧いてきました。

本当にやりたかった事はミニマリストになる事ではなく、負の連鎖ばかりの生き方を変える事。

ひとつひとつ判別していくと、自分の奇妙な習性に気がつきました。幸せを遠ざける思考の癖。それは、すごく素敵、大好きと思う人や物があっても手が出せない。良いとは思うけどちょっと微妙、けして大好きとは言えない。そんな物ばかり手元に置いている事に気がついた。

その心は自尊心が低く、最高のものは自分には勿体無い、むずがゆくて落ち着かない。だから微妙なものを手元に置いてしまう。

人や就職についてもそんな考え方でした。
どうして私っていつも変な人や物に囲まれてしまうのだろうなんて思っていましたが、いつもいつも自分で選んできたわけです。

それって、誰もハッピーになれない選択。
自己満足の我慢。自分は我慢をしているつもりでも、相手がたにとってもまったく失礼な話。

頑張ることは必要、ですが、頑張るステージは選ぶ必要があると感じます。魅力も感じず、居心地も悪いけど別れるのは世間体も悪いと我慢して一緒にいる夫がいたとします。自分にとっては魅力のない人間でもその彼を好きで好きでたまらない女性がいるかもしれません。

自己満足の我慢は負の連鎖を巻き起こします。私は苦しいことに耐えているんだらお前も苦しめ!そんな方もみてきました。

あれこれ理由をつけて現状を変えずに、不幸をキープしているほうがある意味楽なのです。本能的に人は環境が変わることを拒むからです。それが幸せになる変化であっても。

それはまわりの人間についても同じで、私が変化することで、その人にとってのバランスが崩れてしまうから、本能的に拒否をしてしまう。

例えば、30代で非正規の私が、正社員で大企業に働くに変化をすると相手の中でバランスが崩れてしまうのだと思います。

幸せな状態にある人や同じ境遇の人はへ〜よかったね〜と受け止められるのですが、不幸な人ほど拒否反応が強くなる。

なので、環境をかえ終わるまで、変化の途中である事はあまり話さないことにしています。不幸我慢型の人ほど変化を嫌うので、特に注意が必要。

環境を変えるにはすごいエネルギーが必要。それは環境を変えることと、まわりの人間があれこれと好きなことを言ってくるからです。

都会から田舎に移住したい人たちも大変なんじゃないかと。都会が好きな人より、都会が苦しい人からの拒否反応の方が凄そう。

ですが、一度そのステージを抜けてしまえば、同じ考えを持った人が次の環境にはいる筈なので、環境を変えたいと思うのであれば強い意志を持って迅速に密かに、周りをしげきしないように抜け出していきたい。

まるで宗教団体からの脱会のよう…。

断捨離後の第二ステージは、自分を大切に、そして楽しいに貪欲に!居心地がよく楽しい事を大事にしていこう!我慢が正義はもう卒業。

沢山の人と出会って、話して、楽しいを正義にする勇気を持つこと、自立していること、この2つを軸に30代以降を過ごしたいと思っています。強い意志を持って楽しく生きるほうへ舵をきりたい。

どう生きても最後の時は誰にでもやってきます。いつか終わりが来るその日まで、苦しいを選んで私は辛かったんだからお前も苦しめとばかりに負のオーラを撒き散らすか、穏やかに楽しく生きて周りに寛容であることを目指すか。

絶対に後者!