気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

迷ったら、幸せなほうを選ぶ。

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通勤路にある桜の木も、つぼみがだいぶ膨らんできました。味気ない通勤路が彩られ、心地よい季節がもうすぐ来るのかと思うと、嬉し〜。早く来い来い、良い季節。

最近、友達からの手紙を読み返しました。

良い影響を与えてくれる友人です。

誰にでも幸せになる権利はあるけど、幸せになる事を自分に許せる人は少ない。

人生は選択の連続で、自分で選んだ事が積み重なって人生になるから、幸せなほうを選ぼうといった事が書いてありました。

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確かに、幸せなほうを選ぶというのは、なかなか難しいように感じています。

私は全然できてない。

教育の影響なのか、周りの目を気にしているのか、考え方のくせなのか、まともな社会人「っぽい」ほうや、気がつくと苦しいほうを選ぼうとしている。

幸せなほうを選ぶ=楽をしている、甘え、ダメなやつ

そう考えている人にもまだまだ会います。だから、口に出すのも思いとどまってしまう事もある。

パッと思いつく、一般的な幸せの条件を書いてみます。

お金を沢山持っている、大きな家に住む、安定した雇用形態で憧れの仕事に就く、沢山海外旅行に行く、高価な外食をする、結婚して子供がいる、などなど。

この条件が叶えば、はたからみれば幸せそうに見えるでしょう。しかし、望んでいなければ窮屈で苦しいだけかもしれない。

何が幸せかは、現代においては正解は無く、人それぞれなのでしょう。

ですが、苦しく走り続けていることこそが正義だ!と思っている人もまだまだ多いし、幸せなほうを選ぶことはそんな人達から攻撃をされるリスクもあります。

実際に、手紙をくれた幸せなほうを選ぶ友人へ苦しく生きてる派の拒否反応が凄い。

幸せなほうを選ぶという事は、心を強くもたないとできないのかもしれません。 

また、不幸に引きずり込まれるものからは距離を置く事も勇気なのかな。

手紙をくれた友人も、無理だ、不幸なほうに引っ張られると感じることにはごめん!と遮断しているそう。

忙しく働いて、苦しくいきるほうに寄せたほうが、まわりからとやかく言われない雰囲気はまだまだあります。

「迷ったら、自分が幸せなほうを選ぶ」普段の生活から幸せなほうを選ぶ練習をしてみようかと思ってます。

通勤路を気持ちの良い道を選ぶ、数百円程度の差なら、良い食品を選ぶ、心地よい服や物だけ残す等。

幸せなほうを選ぶ、習慣を身に付けたい。

幸せなほうを選ぶという決断が出来ることは強さでもあるように思います。

精神的に自由でいるには、経済的に自立していたいけど、どのような生き方を選ぶにしても、明日の生活に不安がなく、ちょっとした楽しみが日常にある状態でありたいなあと思うのでした。

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