気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

何にもない幸せ

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新しいことをはじめました。 

 

とてもとてもやりたかった事。でも、蓋をあけるとバッタバタ。新たな悩みのタネやストレス源になることも出てきました。先週は休みがなくなってしまった。

 

仕事も繁忙期だし、さすがに疲れた。今年は1人のお正月が楽しみで仕方ないです。去年みたいに、目玉焼きのトーストみたいな簡単なものを食べて、暖かいコーヒーでも飲もう。

 

ゆっくり休もう。思う存分。それが今一番の手の届く贅沢かな。

 

新しい事を始めて、「何も握っていないけど、何も起こらない幸せ」もあるんだなって。

なにもはじめなかったら、土日はゆっくりコーヒーを飲んで、たまに友達と遊んで、気まぐれに何か作ったりしてのんびり過ごせた。

 

やりたい事をやれてるけど、めんどくさー!なんだそれはーー、つかれたーーとか色々おきてます。良い出会いもあれば、そうじゃない出会いもあった。

 

同じように、結婚をしなければ、相手の家族の悩みは起こらない。子供がいなければ、子供関係の悩みは起こらない。さみしい、取り残された、そんな気持ちになっていたけど、何も握っていない幸せもあるのだと。

 

同年代は子育てに忙しく、結婚して子供を持っている人も多く「手の届かないあちら側」だった悩みの深さをリアルに聞きます。悩みの種類が違うのです。未婚組は、結婚したいね、○○歳だからはやく相手探さなきゃ…みたいな。

 

孤独に老いて行くことに怯えたりもするけど、お金も自由に使えるし、自分のことだけ考えていれば良いし、お買い物したり、旅行行ったり、やりたい事やって自由で楽しいです。

 

20代の自分、30代になってしまった自分が怯えいた未来のわたしは、子供どころか恋人もおらず、憧れの職業にもついてないけど、30代独身の今は楽しすぎます。ぬくぬくと、実はとっても居心地も良いことに気がついてしまいました。

 

みんなの話を聞いて思うのは、どちらにも悩みはあるし、どちらにも幸せがあること。

 

つい、ないものに目がいってしまうけど、何も持っていないこと、何も起こらないこと、それもひとつの幸せなんだって、そんな価値観もあるのだと、時々思い出してあげたい。

 

 

 

 

 

 

今日もお疲れ様でした。

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ふう、流石につかれてきました。体力が…。今週の日曜日は絶対にどこにも出かけない…!

 

お正月はさみしいとか全然思わないかもしれない。

 

とにかくゆっくり休めるだけで幸せ…。なんだったら最近は家に帰れる…とタイムカード切った瞬間から幸せ。

 

間接照明タイム&お茶の時間は変わらず幸せ。最近の趣味は幸せを「ブロック」している原因について考えること。アドラー心理学の本も見返したりして、疲れるけどめっちゃ楽しいです。

 

結婚したいといいつつ、やっぱり自分でブロックをかけたいたようなのです。全然気がつかなかったけど。あーおもしろい。

 

やっぱり世界はどこまでも優しく、シンプルなのかもしれない。

 

あの人のせいでも、あの子のせいでもないのです。「自分」がかけているブロックと、巡り合わせ的なコントロールできないところで起きている面白いブロック。

 

ついてないと思うような体調の崩し方をした時、なんだか胸がザワザワするあの子。びっくりするくらい嫌なやつは、ここにいるべきではないと嫌な場所から自分を引き剥がしてくれるような門番。

 

あの子、あいつ、あの人、本当はとっても面白い人なのです。

 

あの子はやっぱりおもしろい。蓋をしてくれている。あの子、あえて距離をとってあの子が動きやすいようにしておこう。

 

むかつくあいつ、嫌な人は今はや私の周りはいません。出てきたらその人は門番だから、今いる居場所は適切ではないのかもしれない。もしくは、今じゃないよ…とか。戦わないでそっと離れる。

 

昨年感じた、転職活動時期なのに今は絶対動かない方が良いという直感。素直に直感に従って良かったと思う。

 

最近は、あと少しだけ待っていた方が良い気がして、焦るけど恋愛面も何もしていない。転職活動の時と同じく怖いですが、ちょっと待ってみます。

 

もう少しだけ、待っていないといけない気がするのです。なぜでしょう…。

 

 

自分ブロック&おもしろブロック

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自分的な幸せの最終関門&マイブーム、恋や愛に関するブロックに向き合ってみようというターンです。後回しにしてたやつ。怖いし、めんどくさいですからね。

 

自分の内面的なブロックと、巡り合わせ・直感的なスピリチュアルチックな自分でコントロールできないような面白いブロックがかかってるような気がして、ちゃんと考えてみたからメモ。

 

まず、自分ブロックについて。アドラー心理学の本をもう一度読みました。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

残すところの、解決したい課題「結婚したいのに結婚できない30代中盤な私」

 

…といいつつ、自分でこの状態を手放さない・手放せなくなってる可能性がある。仮にこのまま誰かと付き合ったとしても相手に迷惑がかかってたかも…大変、早く気が付いて良かった。

 

結婚したいしたいと言いつつ、自由に生きたい、縛られたくない、また、幸せになれないから「結婚したくない」という思いを見つけて🤭びっくり。まさかの!それは過去の経験からの誤解や刷り込み、そのほうが都合が良いからという事があるかもしれない。

 

そんなはずはないとおもい、さぐっていくと心当たりがあった。人は10歳くらいでどう生きるかを決めるのだそう。私の実家は嫁いびりが酷く、苦労する母、空気な父、あんたのせいで!私に八つ当たりする母。その頃、「私は絶対に結婚しない!結婚したら意地悪なおじいさんとおばあさんにいじめられて不幸になるから!」と強く訴えた記憶がはっきりとある。あとは、5歳くらいでしょうか、親戚の結婚式に参加して、絶対にこんなことしたくない!と思った記憶もあります。また、人と違う生き方をしようとも思った記憶があります。

 

「結婚をすると不幸になる」「結婚式をしたくない」どこかでこう思っているかもしれません。愛が怖いから拒絶をしている。私を愛そうとしてくれる人や好きな人に対して「怖い」という感情が湧いて来て遠ざけてしまうのはそんなおもいがよぎるからなのかもしれません。認知の歪みもありそうです。

 

アドラー心理学ではトラウマを否定していますが、10歳の時点では周囲の影響が価値観に影響する可能性はあるのだとか。

 

他にも、一歩踏み出す勇気を持たないまま、可能性を残しておきたい、結婚できないから自分は幸せではないのだと分かりやすく納得させるため、あの人と再会できないから幸せになれないのだと一歩踏み出さないまま何かと都合よく言い訳ができる。便利アイテム「思い出の中のあの人」あの人と再会できたら、いつかまたあの人と…。

 

不幸を武器にして特別な存在であろうとしている、特別に良い状態になれなかったから、特別に悪い存在になろうとしている。親や家族への復讐の道具にしている。また、これらはどうでも良いはずの極一部にだけ焦点をあてて、そこから世界全体を見ようとしている可能性がある。

 

対処方法は、普通であることを認めて、「イマココ」を見つめて、一歩踏み出す勇気勇気を出す。トラウマは存在しない。ありもしない未来や過去に焦点を当てない。

 

過去には事実は含まれるが拡大解釈されていたり、都合よく切り取られていたり、誤解、勘違いしているものもありそう。

 

また、ヒントがありました。

 

好きな人=縦の関係の人。

愛の人=自由に振る舞える横の関係の人。

 

※引き続き居心地が良い人に焦点を当てていく

普通であることを認めて承認欲求の中で生きない。他社の課題に参入しないこと。〇〇だから××できないを振りかざさない事。

 

ふむふむ…。こう生きよう!という筋書きをもう一度考えてみよう。ちゃんと今の自分の心と向き合ってみて、一人で生きていくほうが幸せならそういう筋書きに直す作業をする。「結婚できないから幸せになれない」あの人と再会できないからは見つめ直す必要性有り。整理、整理。

 

愛のタスクにおいてイマココにいない人の事は置いておくか、イマココに来てもらうための勇気をだす。ただし、横の関係ではなくて、縦の関係の人なら見送っても良いかもしれない。

 

もう会えないあの人は、たしかに居心地が良かったけど、あの人がまた現れてくれたら幸せになれる私物語は都合良すぎます。(何も勇気出さなくて良い上に、あの人と再会できなかったから幸せになれなかったが成り立つ)

 

最近、環境面はかなりよくなって来たけど、「自分の奥底の筋書き」をアップデートする必要性有。自分の幸せを0ベースでもう一度考える。

 

他にも自由に生きたい、安定したいとか真反対の欲求を持ち合わせていたり、不安から手放せなくなってしまってるだけで、本当の欲求とは真逆のことをしていたり。

 

筋書きの整理が終わるまでは恋人を作る必要はないのでむしろ焦らないこと!

 

結婚する事や子供ができることによって悩みは深く重くなる可能性もあるから結婚が幸せかは分からないけど、自分の幸せに愛は必要。

 

居心地の良い、一人でいるよりおしゃべりの相手がいてくれた方が良いよ位のテンションの気の良いおじさんと巡り会えたら嬉しいなあ〜

 

 

 

 

 

 

 

欲しいものはサクサクっと手に入れて。

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待ちに待った週末。ひとりぼっちだけど存分にくつろげる。極楽…。

 

コーヒーと卵とパンの朝食を済ませ、またベットでゴロゴロ。幸せ以外のなにものでもない。

 

本日、イッタラのカルティオ、レンチンできるマグカップがほしくて買ったアラビアのマグカップ、ケメックスやらを受ける取る。可愛い…。

 

 

 

 

CHEMEX コーヒーメーカー 3カップ CM-1 【正規輸入品】

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手が届かなかったもの、壊れてたもの、足りないものは大体捕捉できたかな。これでレンジでチンして温かい飲み物が飲めるー!これでちゃんとコーヒー落として美味しいコーヒーが飲めるー!

最近は忙しい。いわゆる繁忙期です。

 

ついに定時に帰れなくなり、21時、22時に退社する日も出てきた。体はだるし、仕事は時々荷が重くなって投げ出したくなる時があるけどタイムカード切った瞬間に、あー、かえれる!幸せーみたいな。幸福のハードルがどんどん下がって行く。

 

今の仕事は決して楽ではないし好きか分からない。でも会社の人は本当に良い方ばかり。「遅くまでありがとう、大変だったね、今日は早く帰ってね」そんな風に声をかけてくれる方がいるからどうにか続けていられるのだと思う。

 

ここ数ヶ月で、経済状況、周囲の人など状況は昔に比べてかなり良くなりました。乾いた喉にお水をゴクゴク飲むように、お金がなくて買えなかったもの、できなかった事をやりまくった。

 

と言っても無印で服を買うとか、マッサージを20分から60分にとか、ちょっと良い美容院に変える、ちょっと良い日用品を買うとか、数千円〜数万円で叶えられるような願いです。

 

オーロラシューズは10年越しにやっと買えた。

 

 

これらの物も、もっと早く本当は買えたはずなのに、憧れのあの人みたいになって手が出せなかった。

 

自分で勝手に、わたしにはもったいない、欲しすぎて買えないなどいってブロックをかけていたのでしょう。これまでだったらしばらく観賞用になっていたでしょうが、届いてから早速使ってます。

 

そう、心から本当ほしいものはサクサクっと手に入れてしまえばよいのです。

 

思えばたくさんのブロックを自分にかけてきました。正社員になることや収入を上げる事など。周囲から呪いをかけるような言葉を浴びたのも事実だけど、そんな事ない大丈夫といってくれていた人だって沢山いたのです。

 

私が私に呪いをかけていたから、自分のストーリーに沿った人と言葉を拾っていってしまった。失われた10年のように感じ、歳はとりましたが、その間に仕事で培ったことは役に立ってる事もあるかな、多分。

 

でも、やはり、自分でブロックせず、やりたい事をやって、度を越した嫌な人や会社からはすぐに離れて…って生きてたほうが良かったかなと周りや自分を見ていて思います。忍耐力はほどほどに。

 

さてさて、最近のマイブームは幸せの最終関門、「恋人を作る、結婚する、家庭を持つ」のブロックについて考える事です。人から言われて考え始めてキョトンとしていたのですが、なるほど、たしかに自分でブロックしてる…!

 

アドラー心理学の本ももう一度見返す!

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

 

 

「あの人」問題

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定期的に来る「嫌だ嫌だ」に支配される時間。

思考グセだったり、ホルモンバランスだったり、忙しかったり疲れてたり。満員電車でぎゅうぎゅうでイラっとする事もあります。

 

「あの人のせいで…!」何度布団の中でギリギリしたことか。パートナーや周りの人に私はこんな酷いことをされたのだと力説し、周りを疲弊されたり。

 

「あの人」の問題はつきません。

 

振り向いてくれないあの人、私を愛してくれなかったあの人、なんだか嫌な職場のあの人、腹の立つあの人、あの人がこうしてくれなかったから、あの人さえいなければ、あの人にとられてしまう、「あの人」のせいで私の人生はうまくいかない!あの人がいてくれなければ私は幸せになれない!

 

そんな風に思った「あの人」はいままでに何人いただろう。

 

そして、「あの人」の不満ばかり言う私に、親しい人がこんな事を言った「外的要因に左右されないで下さい」

 

あの人=他人、外の要因

 

職場の「あの人」の不満ばかり言う私に、そして、こうも言っていた

 

「そんなに嫌な人ばかりの職場なら辞めれば良いじゃないですか。そもそも、その仕事は本当にあなたのやりたい仕事なのですか?」

 

行動する勇気のない自分を見透かされて否定された気になって、その時は私はこんなにあの人に酷いことをされているのに、酷い!と憤慨した記憶があるけど、その人は本質的なことを見ていた気がする。

 

「自分を見つめて幸福な道を見つけ、自分の手で変化すれば良い」といった事が言いたかったのだと思う。けど、その時は理解できませんでした。そうだね、そうだね、酷いねと同調してくれることを望んでいたけど、それでは何も進まない。

 

大人になった今、自分のの人生を握っているのは自分。舵を切るのはあの人じゃなくて、わたし。

 

だいぶ極端な事もして昔よりはだいぶ良くなったけど今でも時々「あの人」問題はやって来る。蜘蛛の子散らす作戦でうまく距離をとったり、嫌なことやめて好きなことして循環が良くなったからか「あの人さえいなければ」ギリギリみたいなのはあまり無くなった。いたとしてもかなり外の人で一瞬だったり、いつのまにか姿を消していたり。

 

最近は「嫌なあの人」はガイドのような存在になっていたりもする。あなたの居場所はそこじゃない、今じゃない。抵抗しないでその場所から遠ざかったり、素直に落ち込んでいたら適切なものが舞い込んで来る。

 

最悪なあの人が、合わない場所から引き剥がしてくれた。いわゆる、「嫌なやつ」といった人達でした。でも今はそういう人は周りにはいない。

 

今わたしの目の前に現れる「あの人」は振り向いてくれないあの人、あの人と再会できないから幸せになれない。といったもの。私にとっては幸せの最終関門かなあ(とりあえずの)

 

就職活動で合格が出る企業はトントンと進むあの感じ。ここなんか良いな〜穏やかでスムーズな面接、当日もしくは翌日には来る合格の連絡、いつから来れますか?と遠くない日付を打診されて気がつくと職場に馴染んで…

 

なんかそんなイメージを持ってたい。

 

一緒にいると憧れからうまく話せないあの人、悪くないはずなのになんだか気がすすまないあの人、思い出の中のあの人、会えないあの人、距離が縮まらないあの人、あの子にあの人をとられてしまう、急がないと…

 

何かしらのブロックがかかっているようだ

 

自分でブロックしてるの?それとも違うところに行くべきなの?それとも、今じゃないの?お母さんに会うのが怖いの?不幸な自分が居心地良いの?変化するのが本当はいやなの?幸せが怖いの?

 

今いなくては考えられない仲間に出会わせてくれたのは、あの日窓口で私に酷いことを言い、凹ませて帰らせて数ヶ月申し込む気にもならなかったあの人のお陰。あの人があそこで門番のように私を追い払ってくれなければ学校のみんなにも今の会社の人にも繋がっていない。

 

あの子は門番なのかもしれない。あの人は何か違うのかもしれない。

 

そう思うと色々と面白すぎます。あの子は大切なガイドなのかもしれません。学校に行こうとした時の門番は、「今はダメ!帰れ」といった感じだったけど、あの子は動きも読めない。どうなるのかな、面白いな、あの子。どんな風に動かしてくれるんだろう。

 

「自分ブロック」も掘ってみつつ、やりたい事やって嫌なことやめる。自分ブロックは自分に課した暗黙の禁止事項とか、不幸な私でいたいんじゃないのとか、掘り下げてみたら面白そう!!!

 

嫌なことやめて好きなことする、自分らしくいる、仲が進まなかったり悲しい気持ちになる人、居心地が悪い人にしがみつかない、素直に心折れて傷つく…。

 

つまりはあの人はとっても面白い、大事な役割の人なのです(近づくかどうかは置いておいて)多分、ここじゃない、今じゃない、別の居場所がある…のお知らせの人。

 

勝手に楽しく解釈して楽しんでみます。色々楽しめば良いと思うのです。

 

もしも結婚なり、子供産むなり出来たとしたら、同じ相手とずっと一緒にいるのです。

 

焦らないで最後の恋をたのしんで…!そんな気持ちでいようかな。

 

一人で生きるにしてもこの調子なら、なかなか楽しい人生になった事ですしね。もしも独身確定…!ならもっと楽に楽しく生きられるようにブロックを外して人生をいじろう。

 

楽しい、何しようかな。

 

そういえば、あの話もっと練ってみよう。そういえば今週も来週も新しい流れができそうな集まりがあるなあ…

 

 

トランジット転職

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ベットやソファに寝転がってのスマホいじりがやめられない。見てもないのにテレビが付けっ放しで、ああなんかうるさいなあと思いつつもやめられない。

 

なんか体も休まらない…。なんか、脳が休まらないというか、スマホ依存感がハンパない。

 

最近は間接照明の時間が好きなのですが、音楽もテレビもきって、スマホも手放してノートにあれこれ書いているのが好きです。

 

静かな時間に頭を整理する。テレビもパソコンもスマホも手放してノートに書く。

 

保存して見返す用のやりたいことノートと、ブログやSNSにもかけないようなドロドロした気持ちやうだうだしたこと書きなぐって捨てるノート。直感的なことを書き留めたり。

 

拗ねてる時、ラインや行動におこす前に文字におこして吐き出すことで、気持ちが落ち着いたりもする。

 

私と私の一人会議みたいな時間。仕事続けたいかどうかとか、正社員じゃなくても別に良くない?とか「あの人」についてとか、色々。

 

今回の転職は、なんかトランジットみたいな転職なのかなって。結婚出産するにしても、しないにしても正社員でこのまま働くのは長くてもあと2年位で良いかも。気になる仕事が色々流れてくる時もあり、もし今辞めたって自分を許してあげよう。もう履歴書の社数も、在籍が短くなってもそんなことどうでも良いや。エージェント経由の転職は今後利用しないだろうし、対外的な事はもういいや(エージェントより起業の採用担当者の方が柔軟な場合が多いし、転職サイトなどの面から応募することって今後あまりない気もするし)

 

今回の転職は正社員コンプレックスとか、これまで叶えられなかったボーナスがある事、収入面などを叶えることができましたが、次の段階ではもっと本質的なところで楽にしていきたい。先月、今月は貯金しないはずでしたが、貯金欲の方が買ってしまい、結局貯金に回す事に。

 

引っ越ししようと思って物件を探していたのだけど、全然ピンとくる物件もない。お買い物もたくさん楽しんだし、もう欲しいものってあんまりない。

 

大原へんりさんの文章などもまたみかえして、ピンとくるものもないのに大金使って引っ越す必要もないかと思い、貯金できるだけする事に。

 

よーし、たまに美味しいパンを買ったり、無印で服買ったり、北欧や作家さんものの雑貨を買ったり適度に欲しいものは買いつつ貯金するぞー!いつでも飛び立っても良い事にしておこう。

 

自分を許して、もっと楽に楽しく行きていくための自分会議を続けよう。でも、おしゃべりする相手と暮らせたらそれが一番良いかなあ〜

 

 

半分青いの「そよ風の扇風機」って本当にあったのか〜

こんな時期にあれですが、半分青いのそよ風の扇風機、こんなのあったら欲しいなあって思ってたけど、本当にあったーー!!

 

しかも、モデルになってる方がいた。バルミューダという家電の会社。で、創業者の方の生き方がぶっとばしててメッチャ面白い!!

 

https://www.balmuda.com/jp/about/hanbunaoi

 

家電は全然わからないのですが、オーブンレンジを買うときに気になったのがバルミューダのオーブンレンジでした。おしゃれ、そして、遊び心がある。

 

レンジでチンが終わったあと、「ジャジャーーン!」という音が鳴ったりするのだとか。お値段は約五万円。独身出しやすいので良いかとおもってべつのものをかったけどか、もっと早く知っていたらバルミューダのオーブンレンジを買ったのにーー!

 

高校生のときに文系か理解か迫られた時になんでそんなこと決めなきゃ行けないのかと疑問を持って高校を中退後、海外を放浪。

 

その後はミュージシャンを目指すも、バンドは解散。起業して負債を抱えて、もう良いや好きなもの作る…!といって作った商品がヒットして…といった背景があるそう。

 

今度何か買ってみたいな〜

 

 バルミューダ 省エネ 静音 リビング扇風機 The GreenFan(グリーンファン) | EGF-1600-WG(ホワイト×グレー)

 

 

 

最悪なことは、おもしろサイン

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ものすごく嫌な予感がする、最近帰った時に玄関の鍵を回すと、ガチャリと閉まることが続いた。まさかね…。鍵のあけかたの問題だよね…何も取られた気配もないけど、においがちょっと気になった。まさかね…。

 

最近は体調がグズグズ、気になるあの人はあの子と急接近。あー最悪!人生終わったーもーやだーとなるけど、ここ1年ほど、もう最悪!に素直に心折れて凹んだおかげでここまで来れました。

 

まず、前の職場でロクでもないことが次々起こり一念発起して辞める、びっくりするような大失恋(実は長いこと騙されていた)、学校に行こうとしたら窓口の人にぞんざいな対応を受けて心折れて入学が遅れたおかげで入学のタイミングも入る学校も変わって大切な友達がたくさんできた。そのあと誘われてお手伝いに入ったところが、入ったらビックリ、最悪なところだった。そこを辞めたら今の会社にすぐ就職が決まった。

 

最悪!に歯向かわずに素直に心折れたらやさぐれてここまできました。おもしろい。

 

進む時はトントンと、進まない時は妨害がはいったり、進みが遅かったり、もしくはその場所から引き剥がそうとされたり。

 

うまくできているのです。居心地が良く、縁があるもの自然にトントンすすむ。

 

その時の自分は、ここしかない、今このタイミングじゃないと、この人じゃないととしがみついていたかったから、最悪!人生終わった!とか思ってたけど今思うと、合わない場所や人から引き剥がそうとされてる感じだったのかも。

 

今振り返ると、最悪な出来事はそこじゃないよ!今は違うよ!のサインであり、もっとあうものあるからそっちに行かないでのおもしろサインなのかもしれない。

 

生き方変えなよ!とかね。

 

で、今、現在進行系で、あー最悪!と思うことが色々あって、最悪最悪と思う反面、そういえばあの生活から抜け出せたのって、流れに逆らえないくらい最悪な出来事を素直に心折れてきたからか〜と思い、どうなるんだろうと興味津々。

 

あの人はあの子と仲良くなって遠くに行ってしまいそう…、最悪、体調悪い、最悪、会社で心配されたのか使えない奴認定されたのか、かけられた一言にココロぽっきり、会いたい人に勇気出して声かけたけど断られた、〇〇…〇〇…最悪…。

 

ふーん、どうなるんだろう?バーゲンセールの引っ張り合いのような、私から奪っていかないでと怒ったり、悲しくなってしまうようなものは、手放して多分良いのだと思う。居心地が良いとはかけ離れているし…。

 

そのかわり、別の流れができてきました。近づけないと思っていたあの人と急激に仲良くなり、また新たなコミュニティに誘ってもらって…。

 

でも仕事忙しいし、体調悪いし、さあどうなるんだろう?実験、実験。ていうか、家の戸締り今一度ちゃんとしよう。死んではシャレになりません。

 

引っ越しのサインなのかなあ〜。今一度ミニマリストモードにしておくかあ!

 

幸せの在庫チェック

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今日は考え事の日。

 

ものと同じく、幸せの在庫チェックも時々したい。というのも、私は持ってない幸せ探しの達人で、持っていないものを見つけてはあーあ私って不幸とネガティブになりがち。

 

私は不幸、私は不幸とひとりうじうじしているのもなんか面倒な人って感じですが、さらに厄介なのは恐怖の世界を親切心でおすそ分けしてしまうことでしょうか。

 

私が持っていないものはパートナー、子供、多額の貯金、家とかでしょうか。あと体はあんまり強くないのと実家と仲が良くないので体裁が悪く、理解してもらうのが大変なのとお正月が寂しい。

 

持っているものは…良い仲間が周りに増えてきたこと、好きな物が買えて貯金ができるくらいのお給料がある、良い仕事仲間、趣味のこと、スッキリ片付いた部屋、浅く広く色々作れる、やりたいことができるようになってきた…とかでしょうか。

 

時間が足りなくなりつつあるのと、疲労が溜まり始めたのでアウトプットとものを駆使したりして乗り切りたい。

 

持ってない方をだけを切り取ると、不幸物語が始まります。これらを題材にさらに不幸っぽいところを掘り下げて、不幸物語の取材を進めれば、不幸なわたし物語がいくらでもかけそうです。でも、持っている方に焦点を持ってくると、リア充っぽい感じ。インスタにバンバン投稿できそうな。幸せを持ってる方の自分と、持ってないほうの自分ではもう別人のようになってしまいそう。

 

今でも時々、持ってないほうに焦点があたり、〇〇さんが〇〇してくれない!とか、私には彼氏すらいないとか、ドツボにはまってしまう時があります。  

 

でもそれは私の一つの一面に過ぎないのです。

 

最近ふっと目が覚めたのが手の届かない「あの人」に愛されたいのに愛されないから幸せになれない…!という気持ち。この、あの人というのは時に家族であったり、別れた恋人であったりその時片思いをしている人であったり様々です。あの人はそばにいることもあるし、半年以上会えていない人だったりする事も。思うようにあいしてくれないあの人は定期的に心に影をつくります。

 

あの人の影に隠れて、自分を大事にしてくれる人を見落としていたり、楽しい時間が、「あの人がいない、あの人に愛されていない」なんだか物足りない時間認定になってしまっていたり。

 

姿の見えないあの人や、愛してくれないあの人ではなくて、今日、明日、自分を大切にしてくれる人にもっと目を向けて、そういう人と思いやりながら楽しく生きていけたら良い。

 

普段の中で笑ったり、ありがとうは伝えてはいるのだけど、ふと一人になった時に、「30代で独身の自分はひとりぼっちでなんか不幸」認識はもったいない気がした。

 

思うように愛してくれないあの人は、してくれた事探しをしたい。90%くらいはやってくれているのに、不足している10%にめくじら立ててたら、どちらも不幸だし、なんかもったいない。でも昔の自分にはよくあった。そのこころは、どうせ私のことは愛してくれないんでしょう。自分の自信のなさから来るものだったけど、相手には悪いことしてしまった…。どこかで幸せになってくれていますように。

 

でもこのくせは早いうちに直した方が良いように思う。以前はバリアのように近づけなかった結婚した友人達と話しているともっと深い悩みになっていく。

 

結婚したけど子供ができない、子供がいるけどお金がない、旦那さんが〇〇してくれない、もっと自分の人生を生きたいから離婚したいけど20代前半から専業主婦だから経済力がない、相手に飽きたから離婚したい

 

人によっては幸せ蟻地獄のようになっていたり…。話を聞いていると中にはちょっとそれはと思うようなこともあるけど、その人の人生と価値観だから肯定も否定も簡単にできないデリケートな問題もいっぱい。

 

わたしも周りももう大人なんだな。自分一人の決断で人の人生が変わってしまうこともあるだな…。なんかそんな事を思いました。

 

不機嫌になったら、美味しいもの食べてしっかり睡眠をとる。部屋を綺麗にする。ちょっとおちついたら幸せの在庫チェック。

 

これは時々やろうと思います。

 

が、しかし、最近は毎度毎度同じような事をいってますが、やはりはとりではやっぱり寂しいし、旦那様は欲しい…。思えば願うらしく、理想の暮らしをノートに書きなぐろう!

 

ああ楽しい!

 

カツオが磯野家を片付ける日


カツオが磯野家を片づける日 後悔しない「親の家」片づけ入門 (SB新書)

カツオが磯野家を片づける日 後悔しない「親の家」片づけ入門 (SB新書)


↑最近気になった本。大人になったサザエさん一家の遺品&生前整理の本。口達者なのを生かしてメーカーの営業マンになったカツオが、転勤族から昇進で帰って来た矢先に縁側で滑って転んで亡くなった波平さんの遺品整理とフネさんの生前整理を早川さんに指導してもらいながら片付けるお話だとか。

設定が…!!

最近は物を持たないことより、今を便利に楽しくことを大切にしているけど、お片づけ系の情報を見るのは変わらず楽しい。

体調不良も大事。かぜをひいたり、めまいや頭痛がしたり。嫌だけど、大切なサインと受け取ってしっかり休んでケアする事に。普段はやる事はしっかりやって、ちゃんと休む。それすら許されない会社や人間とはすみわける。そんなところで頑張ったとしても報われる事はないのだから…。

すごく欲しいものは買ったり、とにかく楽しく周りの人達とすごしたい。オーブンレンジを買ったり、飲み会に行ったり、贈り物をしたり、出費や物を買うことも増えています。

先月と今月は貯金ゼロ月間だったので、欲しいものを色々買いました。といってもオーロラシューズ(10年越し)とオーブンレンジ、(五年越し)、あとは普段使う衣類とか。

あとは食器くらいかなあ。陶器市でみたこな引きのコーヒーメーカー&サーバーが欲しい、ヨーグルトを入れるガラスの小皿、飯椀2つ。引越しと、パソコン+ネットとかかなあ。レザーソファが気になっているけど流石に10万〜20万円は尻込みにしてしまいます。これはどうかなあ〜。でも可愛い。


オーロラシューズは増殖していきそうな気もするが…


食器はタイミングよく陶器市に誘ってもらったので買えそう、やりたかった活動も声がかかったり、パートナーができない以外はピンポイントで願いが叶い、わりと良い人生になりました。祈るべし!最後の大物な願いも…!

(落とし穴はあるかもなので、嫌なことやめて好きな事するの循環は必須でしょうが…)

ものを買うのも、お洒落も、メイクも、住まいのことを考えるのも楽しいです。これはたぶん本能なんだと思います。だから、好きなように、その時の気分で楽しんだら良い。今年はミニマリストだけど、来年にはアンティークにはまってたって別に良いか。

でも、無限にものを増やす事はないかな〜。

時々、ミニマリスト部屋やお片づけ系のブログを見るのも楽しみの一つ。モチベーションを上げて、断捨離をノリノリでしてみたり、クイックルワイパーで床を磨いたり、蛇口を磨き上げてみたり。掃除ってやっぱり気持ち良い。

最近のお片づけのトレンドで気になったのは「死のお片づけ」でしょうか。他人目線の片付けはもうちょっと先でも良いかなあって気もしますが、今わたしが所有しているものは、わたしが死んだらぜーんぶ遺品。

これは事実だと思います。でも、私は死ぬために生きているわけではない。死ぬまでの間、楽しく快適に生きる為にお金を出して社会からレンタルしているような…なんかそんな感じでしょうか。

所有しているようでしていないんでしょうね。そう思うとちょっと楽しい。

所有しないのであれば、必要なものを少しだけ、便利なものか好きなものを。

人間もそうかもしれません。体もいつかはなくなり、やがて老いていく。その時が来たら体も返す。

仕事も、死ぬまでの間の少しの時間、お金とトレードして時間を提供している。

一時的には所有できても、死んだら全部返さなきゃいけない。となるともしかしたら家を買わなくて良いのかもしれないし、仕事なんて賃貸住宅とおんなじくらいの感覚で良いのかもしれない。

日当たりが悪いな、家賃が高い割にしょぼい家だな、隣の住人の質が悪い、管理会社や大家さんが嫌な人だからさっさと引っ越すか…みたいな。

時間とお金はどうやって楽しく使うかなあ〜。