気楽に暮らしたい。

シンプルライフと日々のグダグダ。

一回ミスしたら、首!

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不幸な自分から抜け出したい!と思って、物を捨てたり、仕事を辞めてみたり、ゲストハウス行ったり、海外一人旅してみたり、移住を目論んでみたり。

自分を、環境を変えなくては、あれを手放せば、これを手に入れれば…。足りないもの探し、要らないもの探しに夢中でした。

でも、本を読み、友達に会いに行き、世界をみる、「自分の視点の問題」という事に合点がいきました。

これからは目の前のワクワクには従うけど、極端に変わろうとしないで淡々と普通に生きていきたい。

今は、「足りている、やりたい事やっている、社会から愛をもらっている」こんな風に思えるようになりました。気がつけば、できの悪い私を見捨てずにフォローしてくれる優しい人達、お茶したり、ピクニックに誘ってくれる友人や、私と遊ぶのを楽しみにしてくれている友人の子供たち。

世界はもしかしたら、優しいところかも?もしかして私は愛されていたのかも…?騙されたと思って、こんな風に世界を見てみると、ザクザクとそんな証拠が集まってきました。

これまでは「私は不幸」という瞬間を切り取り続けてきました。だって30過ぎて結婚してないし、正社員じゃ無いし、あれもこれもないし…。ないもの探しはキリがない。

ですが、おもしろいことに、私に足りない物を持っている人達も、私にはあれが足りないこれが足りない…と真剣に悩んでいました。結婚している人も、正社員で働いている人も、起業して成功している人も。

事情はそれぞれ違うけど、みんなの悩みの核は「もっと愛されたい」といった内容でした。

みんな、私よりあれもこれも持っている人のはずなのに。 

アドラー心理学の幸せの定義は、あれをしてあげたとか、行為レベルの話ではなく、自分が存在している事で、誰かの役に立っているという「他者貢献感」なのだそう。私がいるからお母さんは、旦那さんは、子供は、嬉しい。

住む場所とか物とかお金というより、「愛」の問題。だから、あれもこれも持っている人達も悩んでいたのか?

出会う子供達を見ていると、はっとさせられることがあります。彼らは自分の欲求に素直。複雑に見える大人の問題も、子供たちが求めている欲求ともしかしたら同じなんじゃないか。

「(もっと)愛されたい、(もっと)こっちを見てよ」

とてもシンプルな欲求。だけど、大人になると、状況が複雑になったり、素直になれなくなったり。「愛されなかった」がこじれてしまったり。「私はこんなに傷ついた事を理解してほしい」が満たされないのも厄介。

真実をほじくり出そうとしてドツボにはまったり、「傷ついた」を分かりやすい形で表そうとしたり。傷ついた分を取り戻そうとしたり。

愛の問題の悪循環は、「愛されていない」と思った瞬間から始まるようで、愛されていない証拠探しをして、傷つく→愛されないなら、極端に悪くなって相手を引きつけようとする→傷ついた分、我慢した分を相手から取り戻そうとしたり、相手に怒りをぶつけたりする。

これまでの自分のことや、まわりの人の話を聞いていてふと疑問に思ったのですが、「愛」の採点の厳しさ。

長期的に見ると、沢山の愛をもらっているはずなのに、一回ミスしたら首!と言わんばかりに、愛の問題になると、ノーミスを求めてしまうのか。そして、その後に、「私はこんなに傷ついた」がもつれていってしまい。

「愛されている」に置き換えてみること、相手を責めたり、傷ついた分を取り戻そうとする前に、傷ついた事をまずは自分で認めること、普段から、相手の為と勝手に我慢のシンデレラにならないで、嫌なことやめて好きな事をして、人生は楽しく生きておくこと。この辺が対策?

それにしても、仕事の方が、まだ寛容的な気がする。

なんで何だろう?











地獄でなぜ悪い

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学校は想像していたよりも内容が濃くて、短期集中で、アレヤコレヤをぎゅっと濃縮して講義が進むこともあり、脳みそがパンクしそう😱

「脳だけ尋常じゃないくらい疲れる」というのはほっとくとなかなかやばいようで、今のうちに対処方法を身につけておきたい。

とどのように動かないタイプだったのですが、体が運動を求めているのを感じ、歩きたいな〜と思って、学校帰りに一駅、二駅と散策することが増えました。

新しい発見はあったり、なかったり。

最近よく行く、パン屋さんのパンが美味しい。外観は商店街にありそうな感じでおしゃれではないけど、ちょっと嬉しくなる素朴な美味しさ、程よい価格。オーガニックな国産の材料でこだわったおしゃれパン屋みたいな特別なステータスはないけど、優しい味。

そのパンをおしゃべりして笑いながらみんなで食べたり、ここのパンおいしいよね〜とかそんな話をしているのが好きです。

あ〜、こういう感じって凄く良いな〜と思います。こんな穏やかなことが、明日も、明後日も何気なく続いていってくれたら良い。

特別な何かで補わなくても。幸せって、もしかしたら、こんな事なのかなと思う。

特別なステイタスをコンプリートしていくのが幸せで、あれがない、これがない=不幸と思っていたけど。多分違うのだな。

いわゆる、一般的な幸せ…正社員でそこそこな暮らしをして、結婚して、子供がいて、家を買ってという幸せが手に入らなかったら、何かクリエイティブな職業についているとか、キャリアウーマンでサバサバした強い女性になっているとか、起業するとか、それも無理なら移住して豊かな暮らしを手に入れるとか。

誰にも文句を言われない「第1段階の幸せ」ゾーンからはみ出たら、「何か特別な」幸せや生きたかで補わなければいけないような気がしていたけど、そういう訳ではないのでは。

散々もがいて、「もしや、変わらなくてよかったのでは?」という思いがチラチラ湧いてきます。自分を変えるというよりは、世界の見方を変えれてあげれば、良かった…?

自分を変えるというよりは、すねていたのを辞めて、疎遠になっていたお友達に勇気をだして連絡とってみたり、自分を責めるのを辞めたり、本当はあの時も、この時も愛されていたことを思い出したり。

大きく生活を変えるより、そんな作業をすることが必要だったのかも。

時々、友達とあって笑ったり、不安を共有したり、お友達の子供と私のスマホポケモンゴーをするとかしないとかで、小学生の兄弟みたいなやり取りをしたり、大勢でピクニックに行く事になったり。

「今」にいっぱいいっぱいで、確実に、良い方向に行っているのだけど、時々過去のどす黒い事を思い出して、「あーー😱」となることもあります。

「愛されたかった人に愛されなかった」問題は根が深い。自分でも、まだやるか?と思うのだけど、あの時こうしていたら…とか、本当はこうだったんじゃないか?とか「愛されたかったけど愛されなかったあの人との事」の出来事のあれこれの事実を確認しようとしたり、自分を責めてチクチクしたり。

でも、真実を追求するのってあまり意味がないんだそうです。事実より、「傷ついた」という気持ちを認めて大事にしてあげる方が大事なのだそうです。

事実を追求しても、本当はこうなんじゃないの?また嘘をついてるんじゃないの?許せない…とか、私があの時こうしてたらこんな事にはならなかったじゃないか…とか、相手や自分を責めたり、終わりがない。

対処方法は、「傷ついた」という気持ちを漂わせておくのが良いらしい。そのうち飽きるから…だそう。

でも、グルグル考えても辛いし、気分転換に出かけるのも、何かするのもあれなので、最近は「あー😱😱😱」となったら星野源の「地獄でなぜ悪い」という曲を大急ぎで聞くようにしたら、良い感じ。

曲の感じが爽やかだから、ドロドロした方に気持ちがいかない。タイトルが素敵。

諦める、負けを認めるの勇気。

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相変わらず脳みそパツパツだけど、学校の勉強は少しずつ理解できるようになってきました。

学校に行き始めたばかりの頃は、何度やっても上手くできなくて、白旗〜って感じでした。

真面目に授業を聞いてても、どんなにメモを取っても実践すると、寝てた人に負けてしまうのです…笑。

どういうこと!笑。

やばい、向いてない。でも今更辞められないし(辞めても良いのですが)、辞めた後どうしよう。挫折したとかかっこ悪いし、今後どうするか考えるのも面倒くさいし、あー、向いてないどうしよう。こんな事を考えていました。

で、無意識に頑張るほうへシフトしてました。もっと頑張る、居残りして先生に聞く。

なんだかんだ、少しずつできるようになってきたので、せっかくなので続けますが、諦める勇気って、いつどこで教わるんだろう〜なんて事を思いました。

「適材適所」

得意なものがあるなら、そっちを活かせば良いではないか。営業トークは得意だけど不器用なケーキ職人なら、長所の営業トークを生かした仕事すれば良いじゃないか。

でも、人ってつい頑張っちゃうんです。思考グセというのもあるけど、だって、「頑張る」を選択したほうが楽。世の中の空気的に。

だから、頑張っちゃうんです。
なんでだろう。苦しいのに、一時的には頑張る方が楽という、アリ地獄みたいな現象!

頑張るを選択すると、無理しなくても良いんだよと言われるけど、頑張らないを始めから選択しようとすると何か言いたげな人が現れたり。

ダチョウクラブみたいなお決まりの前振りみたいな物なのか。なんなんだろう。

「負けるな!逃げるな!」という事を主張する学校や会社にあたる事が多いです。私のリサーチ不足もあると思うけど…。そんな環境だと、なおさら、頑張る1択の雰囲気になってしまう。

でも、いつもいつも、あーあ、私の考えとあわないな〜と思っていたけど、そもそも、そういう事は言ったり思ったりしてはいけないんだと思ってた。

でも、今、最悪〜って思った世界から一歩踏み出して思うのは「撤退」は勇気であり、生きる上でとても大切だと思った。

恋愛であきらめられない、ブラック労働でフラフラなのに、自分がやばい状態にいることに気がつけなくなってしまったり…。

「頑張る、あきらめない」が暴走したり、諦めようのブレーキがかからないほうが怖いと思うのだけど。

撤退して、1人になって、また次の居場所探しをして。けっこうな大冒険を選択しているのですが??

諦めないで頑張らない事は褒められるけど、諦めたことを褒めてもらえる機会ってあんまりない。

諦める勇気ってけっこうなものなのだけど。

負けを認めて、次の大冒険にでる。とっても男らしいと思うのだけど。







虫の音でも聞いて。

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朝起きて、毎日行く場所があるのは良い事だ。

だがしかし、久々の学生生活。脳みそがパツパツ。見事に落ちこぼれております。ずっと勉強してみたかった事だから、念願叶ったり、ですが、向いてないなこりゃ。

座学なので脳みそだけが疲れていきます。寄り道したくて、川沿いに1人でいった。

(気持ち良いし、癒されるけど、そろそろ1人は卒業したーい)

音楽を聴くのも気持ち良いけど、イヤホンをはずして、虫の音、草木が風でそよぐ音、頬にあたる風をかんじ、空を見上げたら、頭が空っぽになれてよかった。

スマホいじって、部屋にいると、どうもあれこれ考えてしまう。悪いことばかりではなく、デザインだったり、転職活動に持っていく資料の構成はこうしよう!とか。

ついつい、グルグル考えて、脳みそが休まらない。

頭空っぽにしたい時は、また来よう。

みんなが当たり前にこなしている事が、できない!せっかくなのでこのまま続けますが、笑っちゃうくらい落ちこぼれてる。まあ、就職する前に気がつけてよかったね、という事で。

学校は若干厳しめで1日休むとついていけなくなる感じなのですが、「休んでも良いし、別に辞めたって良いんだからね」と自分に許可を出しながら、通っています。

あくまでリハビリであり、ボーナスみたいなものなのです。(職歴と、ブランク的には絶好の切り札にはなるのだけど)

脳みそが新しい知識でパツパツなお陰で、よけいなことを考えるメモリがない。テレビの中の出来事に怒ったり、過去にあんな事されたとか、あの時どうだったとかこうだったとか。

「女は上書き保存」なんて素敵なハッピー体質。

新しい知識で脳みそがパツパツで、上書きするたび、モヤモヤした事あれこれあった気がするけど、何だったかな…。

プライベートなモヤモヤは仕事やお勉強を頑張ることでそれどころではなくなっていく。やりたい事やってると、良い意味で、鈍く、図太くなる。それどころでは無いのです。

また行こう。脳みそパンクしそうになったら。







脱隠居してみて。

無印良品のパジャマをようやく買った。嬉しい。綿のパジャマがずっと欲しかったので、念願叶ったり。

Tシャツとかトレーナーとかより、綿の方が織りがみつなので体が冷えないとかなんとか。

無印良品のパジャマは何年も前から欲しかったのに、買えなかったものの一つでした。なぜかか「本当に欲しいもの」に近づけない体質で。クリアできて良かった〜。あとは、仕事と引越しかな。これは半年くらいかけて、セットでやろう。最終関門は、家族やパートナー、自分が家庭を持てるか否か…かな。すねないで、一つ一つゆっくりと。

お母さんからの手紙に返事も書こう。前回送ったもの、大したお土産でもないのに大事に眺めてくれてるみたいだから、また何か送ってみよう。何が良いかな。

脱、隠居生活だいたい1週間位でしょうか。

まだ体が慣れなくてぐったりしてますが、おおむね楽しいです。朝、駅に向かうのが清々しい。朝は星野源さんの音楽を聴くようにしたら、日常の世界がなんとなく優しくなる感じがして好きです。

学校は、周りの人が良い人ばかり。色んな人のお世話になることも多くて、消耗した心に「ありがとう」が溜まっていくのを感じます。「ありがとう」がいっぱいになったら、また社会にも還元できるかな〜。

みんなで難しいね〜とか、頑張ろうね〜とか、些細なことを共有しあって笑えるのも楽しい。

お勉強の内容が思いのほか難しくて、冷や汗をかくことも。皆さん優秀で、みんなが出来ることができなくて焦ったりも。プレッシャーをかける方針のようで、学校のやり方や勉強している分野の業界の雰囲気は今の所嫌だと思っているのですが、まあ、それはそれで。その分野が合わないと理解できることも、収穫の一つだから。前職で意地になって7年も時間が過ぎて、体調も崩して、もったいなーい。

「これはやだ、これは好き、私には向いてなかった」を理解しながら転職活動の参考にしていきたいです。

軸は「嫌なものをやめて、好きなことをする」社会に放り出されると、心の中でしっかり軸を持っていないとあっという間に根性論の世界に流されていく。

根性論の世界の人は俺はこんなに大変だったんだぞ!お前なんて…みたいな話が好きだけど、すごいなあ、大変だったんだね。あなたは凄い人なんだね!でも、私は違う世界にいたいんだ。なんて思いながら話を聞いてみたり。

ものと心の整理の第2弾として、「すねない」「意地にならない」「負けを認める」「普通の自分でいること」を意識しようと思って、流行りの音楽も良いなと思ったらダウンロードしてみたり、食べるものや、着るものも周りの意見を取り入れてみたりしようかと。ベースは変わらないけど。

凄く良いお店や、コスパが良い店や物を、調べて調べて…では無くて、通りすがりの何となく惹かれたものに乗っかってみる。

何となく心地良くて、自然な流れに乗ってみる。たまには「特別」なものも良いけど、もっと気楽に。

今日の「好き」や「向いてなかった」「嫌だった」とか、無理に流れに逆らわないで、負けも素直に認めて、明日に渡していくような。

「諦めないこと」は学校、職場、テレビなどから発信される事が多いけど、諦める事を大事だと思う。例えば、意地になって嫌な仕事を続けて体を壊したり、恋愛がこじれたり。諦めることも大切な学び。

学校では煽られる事も多いのですが、そんな感じで過ごしていけたら。落ちこぼれても良い。

今までトドのように過ごしていた事、なれない分野でストレスを感じることもありますが、勉強したかった事を勉強できるのはやっぱり楽しいです。

そして、毎日行くところがあること、一人じゃないって素敵❤️

一旦、隠居終わり。

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久しぶりの学生生活が始まりました。
思いのほかプレッシャーをかけられることも多いのですが、クラスの方がみんな良い人ばっかり!

 世界ってこんなに優しい人ばっかりだったんだ〜と拍子抜け。最近は高畑充希ちゃんの歌声が癒しで、忌野清史郎さんのカバーのデイドリームビリーバーを聞いて涙してみたり。

物の断捨離に続いて、一番やりたかった心の整理もだいぶ終えて、こころのあかや黒い物もだいぶ落ちた感じがします。

隠居したから、物を捨てたから、変わったという訳ではないけれど、1〜2年前よりだいぶ良くなった気がします。

このブログの説明をみると、不幸な私を変えたくて〜みたいなことがかいてありますが、以前はずっとモヤモヤして、不幸だと思ってました。

「どうせ幸せには生きれない!ほら見たことか!」とそんな目で世界を見ていました。

幸せな世界に私がはじかれたのではなく、私が勝手に「一人で頑張る不幸な私」バリアをはってしまっていたみたいで。

「世界は最悪なところ」カメラマンになり、課題の分離ができずに世界中の悪いことを探して回って他者の課題で勝手に怒り…。

また、「自分の幸せ」ではなく、人から見た幸せ(大嫌いな祖父母に言われた)と照らしあわせて私にはあれはないこれはない…と思ったり、幸せなはずなのに何か違うと悶々としたり。

以前は原動力が怒りとか、反抗心、劣等感的等が強かった気がするけど、今は軸が自分に戻ってきた感じで、今後は「修行僧」的な暮らしではなくて、ゆるく楽にやっていきたい。

本を読んだり、児童福祉をやってる方のブログを読んだりしてると、うわー!これ、私だ😱と子供の問題行動の事象にギクリとしたり。

社会やまわりのせいではなく、「私がすねてた子供だった」それだけのことだったんじゃないかと。

お母さんにすねたまま大人になって、それを認められず、すねた気持ちの対象が会社となり、彼氏になったり、していたのかな〜とか。だから、変わるのは、職場や住む場所、自分自身というよりは、私が世界を見る目を変える。

そう考えると、ありがとうとか、ごめんねとかそんな気持ちが溢れてきます。自分にも、周りにも。なんで?どうしてと思っていた人にも愛してくれていたのに、ごめんねという気持ちが溢れてくるから不思議です。

アドラー心理学の本を読んで、「特別に良い」を目指してそうなれなかった人は、いわゆるヤンキーみたいな「特別に悪い」存在になろうとするというのを読んで、あはは〜と吹き出してしまいました。

勝手にあれこれ人と比較して、自分は特別に幸せじゃないと思いこみ、特別なもの…例えば、「いつも片付いているお洒落な部屋」「オーガニック」「極端にものを持たない」「すごくこだわって作られた⚪︎⚪︎」とかが必要だったのかもしれないけど、これからはどっちでも良いや❤️と思っています。

今後目指すのは、特別な幸せや、特別な自由、特別に素敵な生活ではなくて、普通でゆるくて、自分や友達や家族をほどほどに大事にする暮らし。

ディズニーツムツムやって一日が終わってしまったとか、休日は友達と近所のファミレスでお茶して終わり〜、あー楽しかった❤️というような。

今日1日の感想は、眠かった、とか、梨が美味しかったとか、もしくは1日の感想は特にないような。

みんなも、私も、楽で楽しいほうを選べれば、なんでも良いや。その時に、すきなほう。

アドラー心理学の本や心屋さんの本を読んで、自分は幸せじゃないと思ってたのって、私がすねてただけ?と思い、騙されたと思って、前提を変えてみることにしました。

「世界は優しいところ」「そのまんまで良いけど、好きなことして、嫌なことやめても良い」「どうせ幸せになれるから大丈夫」そんな事を前提にしたら、優しい人ばかりが周りに現れるようになりました。カラクリは、私が切り取る瞬間が変わった。とてもシンプルで。

明確な正解がわからないことは、自分が好きなほうを選んでみる。頑張って新しい武器を得る必要も、何かと戦う必要も、変わる必要も無いし、ゆるゆるしておこう。

あいつー!とか、振り向いてもらえなかったという気持も、ずっと夢みさせてくれてありがとうと置き換えると、ポロポロ涙が出てきて胸のつかえがとれたり。

言葉や世界は、角度次第ですね。おもしろ。







赤ちゃんに戻る日を作る。

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おもしろい広告を作る会社、バーグハンバーグバーグのコンテンツが好きです。
 
それで、バーグバーグハンバーグには、会社の「オリジナル祝日」があるらしい。理由は休みたいからだとかなんかそんな感じだった。
 
すっごい良いと思った。
 
私は現在、のこりあとわずかな隠居生活をどう過ごそうかな〜とか思ってます。でも、働いていなくても、やりたく無いけどやらなきゃいけない事ってそれなりにあったりする。
 
・ご飯を作って食器を洗う
・病院へ行く
・手続きをする
 
とか色々。仕事でクレーム対応とか、無茶を言うクライアントや、あんな事やこんな事言ってくる人たちの相手をするのは面倒だったけど、あの頃に比べればとか、あの人に比べたらこんな事位…とか、そんなもの関係なく、面倒くさいもんは面倒くさい。
 
仕事には有給も土日もお給料はあるけど、家事には、お父さん、お母さん、妻、夫、独身女性、などの肩書きは365日ノンストップ。
 
以前は主婦の子がすごく羨ましかったけど、もしも、旦那さんに、いーよなあ、お前は楽でなんて言われたら、カッチーンとくる気持ちがわかる気がする。
 
面倒くさいもんは面倒くさい。働く面倒くささと家事の面倒くささは種類が違う気がする。360日料理が好きでも、残りの5日は死ぬほどやりたくなかったり。
 
皆勤賞なんて無理無理。
 
隠居してるんだから、自炊して節約するべき…とか、時間があるんだから、家事はちゃんとするべき、とか、⚪︎⚪︎なんだから、我慢するべき⚪︎⚪︎なんだから、⚪︎⚪︎って思っちゃダメ、⚪︎⚪︎すべきを辞める日を作ろうっと。
 
肩書きを無くして、赤ちゃんになる日を作ろうっと。毎日が日曜日だけど、自分のオリジナル祝日。
 
何をするかと言うと、何もしない。食べて寝るだけで、良かったねーの赤ちゃんの日。お正月みたいな感じで、アウトソーシング祭りにして何もしない。
 
もし、頼める人がいたら、甘えてしまおう。(いないけども)その代わり、何かしてもらったら感謝しまくる。
 
お金を出してアウトソーシングしたならば、働いた(働いていた)自分を、お金を出してくれた人を、サービスを提供してくれた人に感謝しまくろう。
 
発動日は、⚪︎⚪︎な自分に疲れたら自動発動で。
 
というわけで、残り数日の隠居生活はオリジナル祝日の赤ちゃんの日で良いや。
 
 
 
 

里に降りる準備と、お買い物色々。

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レデッカーのタワシを買いました!

[REDECKER/レデッカー]柄付きキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]柄付きキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]木のキッチンブラシ

[REDECKER/レデッカー]木のキッチンブラシ


わー、嬉しい!これでフライパンを洗うたびにしばらくニマニマできるかと思うと嬉し〜。

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北海道物産展でハッカ油と、北海道に行った時から気になってた鮭節300円、カニせんべい170円を買ってワクワク。

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 10ml スプレー

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 20ml

北見ハッカ通商 ハッカ油ビン 20ml


牛タン定食を食べ、岩盤浴に行き、整骨院も行ったし、本も色々かって、プチ散財しました。

隠居前は、とにかく生活を小さく小さく、冬眠前の支度みたいなイメージでしたが、今は里に降りる準備をしてるイメージ。

お金も開放していきます。

肉を食べてエネルギーを集め、色々かって身なりを整え(ぱっと見で自分らしさがわかる方がよい)、「好きと嫌い」を「ほうそうか」と知っていく事をやって。

週5日、毎日、朝起きて外出という生活が久々に始まる。早起きと満員電車が心配だけど、まあ、10年近くやってきた事だから大丈夫でしょう。

どうせ、大丈夫!

どうしても嫌だったら、辞めたいことリストの上の方に「毎朝起きて、満員電車で通勤すること」を入れて、転職活動する時の参考にしようっと。

「好きなこと」だけして生きていく。

「好きなこと」だけして生きていく。

好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

好きなことだけで生きていく。 (ポプラ新書)

心屋さんの本を色々とよんでは泣き、私の爆弾、お母さんからきた手紙を読んでは泣き、断捨離&隠居生活で一番やりたかった心の奥底にあるモヤモヤの整理が進んできてます。

辛くても悔しくても嬉しくても、我慢癖がついているから泣きたくても滅多に泣けませんでした。

でも、ぢんさん(みなさんこう呼んでるらしい)の本を読むと、1冊で2〜3回位は涙が勝手に出てくるから休み休み読んでいます。

あの辛かった事、許せなかったことも、面白い出来事だったんだな〜と思う。アドラー心理学の本も面白いけど、心ポッキリの時のアドラー本はちょっとしんどい。

アドラーの本は職場のおじさんがくれたのですが「考え方が嫌だ、助けて欲しいから買ったのに。」みたいな事を言ってたかな…。

ホリエモンのことはなんかすき。あの突き抜けてる感じが。一時期の沢尻エリカちゃんとかも大好きだった。

羨ましいです。堂々と、自分らしくいられる事が羨ましい。

ホリエモンの本はタイトルに惹かれて買ってみたけど、自分の一万円オンラインサロンに来てみろ!(確かに面白そう。内容に対して一万円は安いかなと思う)副業はダサい!なんで行動しないんだ!

みたいな感じで、本の中からホリエモンにチクチクチクチクやられている感じもあって、休み休み読んでいます。

でも、ダサくても、私は副業派かな。だって、会社で働く事と、副業で好きな事をするバランスが楽しいんだから、私にはそれが幸せ。楽しい事。

好きな事だけして生きていくっていっても、好きの方向性って各々違うんだなって。私の好きなことの方向性とこの本の指す好きなことは違うから、こんな世界もあるのか〜と思いながら読んでます。

好きで生きていきたいなら、行動しろ!なんでしないんだ!メッセージが多くて疲れるけど、まあ、確かにそうだよね…。正論だと思います。すみません先生みたいな。

そういえば、起業した知り合いとかと話すと、ホリエモンと同じような事言ってたりする。「なんでやらないの?」って。

その問いかけに、「何でだろう?」って自分に問いかけながらもよく分からなくて、「なんか怖い、あなたはみんなが越えられないハードルを越えられた特別な人なんだよ」なんて事を伝えつつも、「だってやりたくないんだよな〜。何となく」と心の中で思う。

ときめかないから、しょうが無い。

文句は言いますが(文句を言ってるのが好きなのかもしれませんが)起業したら、そっちのほうが縛られる気がするんだよな〜。会社員でムカついたら辞めたり、副業で好きな事したり、ふわふわしてるほうが好きなんだよな〜。

それにしても、ホリエモンは凄いな〜。あと、起業した彼らは凄い。私には彼のようには出来ない。そして、別に経営者になりたいとは思わない(勇気がないを含めて)から、凄いなっって思いながら本を読んでます。

みんなが越えられないハードルを超えられる人ってホントすごいわー!でも、みんながみんな経営者になると、従業員が居なくなっちゃうから、好きな方を選べば良いかな〜と思う。

ホリエモンも、雇用形態にこだわるな!と言っていたし。

とりあえず、嫌なこと辞めて、好きなことをしようっと。結局はトキメクかときめかないかのコンマリ流が良いのか?

ホリエモンは家持たず、ホテル暮らしでスーツケース1つで日本と海外を点々とするリアルミニマリストらしかった。


小さなアウトソーシングでワクワクする日々。

「丁寧な暮らし」的なものが好きです。

ハンドドリップでコーヒーいれたり、保存食を作ったり。でも、もっと便利な社会に甘えて、自分を楽にして良しとしていこうとワクワクしている。そぎ落としたこのお家に、何が入れば楽に楽しく暮らせるかな〜。

今は、ここ、ごちゃごちゃしててやだな〜、でももうこれ以上ものは減らしたくないしな〜というところを無印良品で収納品を買って、便利になった!とか嫌だった場所がすっきり片付いた嬉し〜とか喜んでいる。

やっぱり無印良品は最高。こんな収納用品が?発明!天才!と思うようなものも色々あって、ワクワクしています。

「丁寧な暮らし」「オーガニック」「持たないこと」にはまっていた時期が長いので、便利な文明の道具は持ってないものが多いというか、持たない!買わないし!と意地になっていたところもあるのかも。

オーガニックとか、丁寧な暮らし的なものが基本的には好きです。でも、それを利用して「頑張る私」と「社会への謎の反抗心」物語に利用してたのだな〜と心屋さんの本を読んで思って。

東京にいる楽さと比べた時に、断トツで移住、すぐ準備ってならないのは、本心ではどっちも同じくらいの好きなんだな〜と理解したら腑に落ちました。

それで、暮らしのど真ん中は、私(家族・友達)が楽に楽しく暮らせるのが一番大事!というある意味、当たり前の事を今更思い。

誰かが遊びに、泊まりに来た時に、快適に過ごしてもらえる程度のものの余裕が欲しい。

今までは自分の中でタブーにしていた物も、「楽しそう、楽に暮らせそう」と思ったらどんどん増やしていこうとおもって、ワクワクしています。

掃除はしばらく、小さなアウトソーシング。無印の電解水の掃除用シートに頼ります。値段は2倍位するのですが、100均ではなく、無印もの。無印のほうが好きだし、使いやすいから。こういう、小さい贅沢や好きを繰り返そうと思ったら楽しくて!

外食を増やしたり、自分でマッサージも良いけど、薬局で体をほぐすものを買ったり。本当に小さな事なのですが、家も体も楽になっていく。

400円、700円とか、1200円とかちょっと便利の為にこの金額なら我慢しよう!と思っていたのですが、「嫌なことやめて、好きなこと」に該当するならドンドン便利な社会に甘えてしまおうとワクワクしている。入浴剤を買うのも良いかな〜。

4年間、電子レンジなし生活でしたが、オーブンレンジやっぱり欲しいな〜。

昔の人のように暮らせば、あれもこれもいらない!労働時間も減らせる!今の社会はけしからん!と、勝手に、社会からの脱落者のような、幸せゾーンに入れなかったと思ってすねて、反骨心のようなものがあったのかもしれません。

でも、それは私の勘違いで勝手に拗ねてただけなんだなからと心屋仁之助さんの本を読んで、ふむふむなるほど〜と色々と腑に落ちるところがあって。

すごく薄い本一冊なのに読むのに時間がかかり、涙をこぼしたり、すごく悲しかったことも確かにあれはコントだった…と思って笑えたり。繰り返し読もう。

心屋さんの事は、昔ナイナイの番組で見てなんとなく知っていて、遠野なぎこさんの回が特に印象的だったのを覚えています。

でも、毎回毎回、相談者が号泣していたのが印象的でそんなに!?と思っていたけど、私も泣いたり、体調崩すほどだったのになるほど〜、あれは目の前の出来事を使って、私が思った世界を作り出した、コント劇場だったんだな〜と面白い、笑えると思えるようになりました。

身の回りに起こること、どこにポストイット貼るの?の違いの話で、世界は本当は優しいところだったんだな〜と。99個の良いことを通り過ぎて、1個の嫌なことに付箋を貼る作業をすると、やっぱり世界は嫌なところ!になる。

誰も助けてくれない、私は独り身だし…ブツブツと思っていたけど、「私は一人できるの!私が1人でできないと思ってるの?」と、見かねて手伝おうとすると「いーの!」と怒る子供の一人でやりたがり病や、不慣れなパソコンを触ってる頑固な爺さんに親切心で教えたのにすねておこっちゃったようなあんな状態だったんだろうな〜。

だから、優しい優しい世界の人たちは、そっとしておいてくれただけだった。だって、そういえば、あの人もこの人も助けようとしてくれたのに、それが正しいと思い込んでいたから自分を否定された気になってしまって勝手にショック受けたりしてたなそういえば。

もっと良い条件で働ける人なんだよあなたはとか、もっと幸せになれるよと本当はそんな事をいってくれていただけなのに。

ふむふむ、確かにコント。そしてコント劇場のシナリオに沿った記憶がピックアップされている。

日曜日にカフェで本を読もうと思って、カフェに行きました。やっぱり日曜日なので混んでいて、近くの2席のグループが結構なボリュームで喋っていて。席が近いからダイレクトに届くボリューム。

(…。周りは気にせず)→「うるさいなあ、本が読みたいのに」→「わたしは嫌なこと辞めて好きなことをしよう。みんなも好きなことしてるんだから、まあいっか」なんて思って自分のやる事に夢中になっていたら2組ともいつの間にか帰ってしまってました。

次に隣に座ったのは、親子2人できてる方で、私もお母さんとああなりたかった、羨ましいを絵に描いたような雰囲気。席が近いのでどうしても会話が耳に入ってしまうのですが、娘さんが言うこと全部包み込んであげて、でも行く道を優しく一緒に考えてくれるような。愛の雰囲気が漂うな。羨ましい、理想的。

ああなってたら周りからも、昔の彼からもあれこれ言われなかったのに…とか色んな気持ちが湧いてきますが、「素敵。羨ましいな」と、ただ、ただそう思いました。

そんな事を思っていると、思っていた物と違う物が届いてしまったらしく、店員さんに柔らかく、即質問をされていました。日替わりでちょっとメニューが変わるものらしかったのですが、「あ、本当だ確かに書いてあった。うそー!私そっちのほうがすきなのよ!ラッキー」みたいなことを言っていて、なんて素敵なんだろうとおもった。

私なら、言おうか…言うまいか…どうしよう。モヤモヤモヤ→やっぱり言ってみよう→日替わりでして…→そうなんですね^_^→(もっとわかりやすく書いてよ〜😢)→こんなことくらいで色々思うのはダメだからなかった事にしよう

になるからです。で、これを溜め込んで時々大爆発を起こすみたいな。

ああなれたら最高だな〜と思いつつ、カフェを後にし、家をすっきりさせたくて収納品を見にお店へ。

なかなかしっくりくるものが無いなあ、無駄になるかもしれないけど買ってみる?それともそのままにしようかと頭を抱えていたら店員さんが話しかけてくれて、気遣いの言葉と一緒に検討していた物より拍子抜けするくらい安くすんで、ぴったりな物を教えてくれました。

「何かお困りですか?買って失敗しちゃうと大変かなって思って。良いものあるのでもしよかったら…」と。

帰りがけ、とっつきにくい雰囲気にみえた男性が、駐輪場で困っている見知らぬお爺ちゃんを助けてあげているのを見ました。

世界は優しいところで、周りはヒーローだらけだったのに、私が勝手にすねて、誰も助けてくれない、嫌なところだと思って、その証拠集めをしてただけだったんだな〜と。

愛されない嫌な世界というタイトルでほら!やっぱり!やっぱり嫌な世界で、私は愛されない!という写真を撮り続けるフォトグラファーみたいな。

一人で頑張らないとダメなんだと思っていたけど、パソコン音痴の頑固者のじいさんが、「うるさい!俺は1人で出来るんだ」とやっていたのを、優しいこの世界の人達は意向を尊重して付き合ってくれてただけだったんだな〜。おもしろい。

ても、私が(1人で)頑張らないとって、これが知らぬ間に相手を否定してたのかも…と思ったり。

甘えたり、助けを求められるのって、その人にあなたが必要と言ってるのと同じなんだな〜と。だから助けを求めないなや、「私なんかのために時間を使わせるなんて」というのは謙遜しているようで相手を否定して拒否してたのと同じなんだな〜と。

気遣ってたつもりが実は相手を否定してたり、傷つけられたつもりが傷つけていたり、相手のために私だけが頑張ってたつもりが、相手を否定する事になってしまっていたなんて。

おもしろい。

そりゃあ、自分を必要としないで、(一人で嫌な事も)頑張って、時々爆発する人より、助けて手伝ってと自分を必要としてくれてニコニコしてくれる人と一緒にいたいですよね、誰だって。

色々腑に落ちました。

これまでたくさんの人が助けようとしてくれたのに、勝手にすねて疑ってごめんなさい。愛してくれ無かったと思ってしまった大切なあの人達、沢山の愛をくれていたのにごめんね。ありがとう。

そんな事を考えていたら涙が溢れてきました。

もうすぐ新しい生活が始まってしまうので、肩こりをどうにかするのを続けながら、もうちょっとやってみよう、この実験。

世界は優しくて、楽しいところだったんだ、もとから。

テレビやニュースを見ても、腹が立たなくたってきた。

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ハムエッグ。ハムを一枚入れるだけで、どうしてこんなにも美味しくなるのでしょうか。ハンドドリップでいれるコーヒーはやはり美味しい。

昨日は、どうしても、どうしても夜ご飯を作りたくなくて、近所のスーパーで好きなアジ丼を買って食べました。390円ほど。

ご飯をどーしても作りたくない(嫌だ)VSお金もったいないし、人より楽な暮らしをしているんだから、節約しないと(頑張らないと駄目だ)の押し問答を一人でして、いっそ食べない事にしようかとも思ったけど、「嫌なことをやめて好きな事をする」方針に基づき、アウトソーシングに決定!

出前や外食も考えたけど、パッと思いつくお店もなく、一番ときめくものを探すためにネットで検索するという行動をするのは面倒で嫌、ごちゃついた駅前を歩くのも嫌だし、近所のスーパーへ。(大家さんは好きだけど、この駅も、高架が近くガタゴトうるさい環境も、やっぱり好きじゃない事を再確認)

アジ丼を買った時に、無添加のハムを見て、明日ハムエッグ作ろう!ワクワク〜と思い、今日はワクワクとハムエッグを作ってる、面白い。

今日は電車で数駅の駅へと移動して、本を買い、長居できるカフェで本をよんで、スーパー銭湯でマッサージでもしようかと。

嬉しい。

明日は、辞めたいと思ってたあの件を辞めますって言いに行って、月謝を払うはずだったお金で何か買おう。サーティーワンアイスクリームとか、ハーゲンダッツとか、数百円だけど、少しリッチな気持ちになれるものとか。ワクワク〜。

「嫌なことを辞めて好きな事をする」をやっていると、自分の人生や暮らしに夢中で、少しづつ、人のことが気にならなくなって行くのを感じます。

「私は頑張らなくても愛されるから心配すんな」と良い聞かせるようにすると、私は頑張ってるのに幸せじゃないのに、あのセレブは好き勝手しやがってー!みたいな気も起こらなくなる。

テレビの世界の他人に、頑張ってるのに幸せじゃない自分が踏みにじられてたような気にでもなってたのかな?でも、頑張らなくても良いし、頑張らなくても愛されるから心配すんなと思ってると、人を攻撃する気が起こらなくなっていく感じがします。攻撃してるのは、そのセレブではなく、自分を攻撃しているようなのですが。

こういう事って周りでも起こってる気がする。私は頑張って残業してるのにあの人は!とか私は頑張ってるのにパートナーは⚪︎⚪︎してくれないとか。そうなると、私は頑張ってるのに⚪︎⚪︎してくれないVS俺だって頑張ってるのに⚪︎⚪︎してくれないのバトルロイヤルになったりとか。

思い当たる節が多すぎて。この間の失恋がちょうどそんな感じで、勇気を出して腹を割って話し合ってみると、お互い凄く好きだったのにお互い自分は愛されていないと思って、愛情を奪い合うような、傷つけ合うような事をしていて、取り戻しがきかないところまで行ってしまってました。仲直りも失敗。良き友達みたいになれそうだったのに、私が、すねて↑みたいなかんしゃくを起こして憎しみ合いの上に断絶!になってしまいました。

「どうせ私は愛されない、頑張らないと愛されない」が前提だったからです。ほらね?やっぱり私が思った通り!と。

でも、前提を変えて、2点、意識し始めただけで、まだまだ微量だけど、愛の匂いがする、羨ましかった友達やフィンランドを歩いて感じ取った、雰囲気を自分の周りにも少し感じるようになったような。よく分かんないけど。

ほらね、やっぱり私は愛されてなかった!と探偵ごっこした挙句どや顏してたけど、1%の愛されてなかった証拠にポストイットを貼って99%の愛されてた証拠をなかった事にしてたような。

もしかして、あの時もこの時も愛されてた?とか、大事にしてもらってるんだな〜ありがとうとか、ちょっとずつ思ってみたり。

1%に貼ってた愛されてないのポストイットを、99%の部分にポストイットを貼りかえるようなことしてみようかな。たぶん、こういうのが「自尊心」と関わるような。

自分で自分を攻撃しない。ほうほう。

テレビを押入れにしまったのは、感情が揺さぶられて、引っ張られてしまうから。これまでの自分を考えると、極端な行動だったかもしれません。それこそ、芸能人のスキャンダルなどをネットに書き込まれている悪口みたいな事を、けしからん!と思ったり。

でも、今は、私は嫌なこと辞めて好きなことするから、この人も好きにすれば良いんじゃないかな〜とか、単純に興味なくて、テレビを切ったり、チャンネルかえたり、そもそもそんな番組を観なかったり。

「ニュースをみなくてはいけない」たとえ嫌でも。これも、嫌だけど頑張らないと!の呪いの一つかな〜とか思う。

NHKとかWBSあたりは淡々としてるけど、その他のニュース番組って殺人事件とかスキャンダルとか、今日はこんなに怖くて悪いことがありました!って話を一日中繰り返してるだけだから、ネットでさくっとみるか、それよりお笑い番組でもみて笑ってたほうが良い気がする。

・嫌なこと辞めて好きな事をする
・頑張らないと愛されない訳じゃないから安心しとけ。そのままでも愛されるから大丈夫!

どうしようかな〜と迷った時はこんな言葉を思い浮かべて。

私は嫌なことを辞めて好きなことするから、みんなも好きなことすれば?と。だから、22時から売り上げを伸ばす為に会議を始めちゃうような人達も、発熱しても仕事がしてる俺たちみたいな人も、そっとしておこう。

上場寸前のベンチャー企業で働いていた時、起業した中心メンバーの人たちは楽しそうでした。でも、温度差が凄くて、社内の雰囲気は悪く、退職者は多かった。根性ない奴はいらないんだ!と怒鳴り散らすやる気満々の中心メンバー達。あいつら!何なんだ!とよく同僚と怒ってたけど、怒って戦わなくても、怒って自分を守らなくても、らんらんと働きたい人達はそっとしておいてあげよう。彼らにとっては好きな事なんだから。でも、私は嫌なんだよね。

会社は辞めちゃいけないところだと思ってたからかもしれません。仕事も。働く事も。嫌なこと我慢する、頑張らないとダメ。

でも、これからは、電源をoffにするように、腹を立てたり戦ったりしないで、私は嫌なことを辞めて、好きな事をしよう。